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古い町並みの看板の文字からフォント作成!?「のらもじ発見プロジェクト」を手がける、電通の若手アートディレクターに聞く

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古い街並みを歩いていて、なんだか気になる看板に出会うことはありませんか?初めて見る文字のはずなのに、不思議と懐かしい。どこか味がある……。そんな、既成の文字ではない看板の書体を“採集”して分析し、50音分のフォントを作ってしまう、というユニークな活動があります。その名も、「のらもじ発見プロジェクト」

採集され、フォント化されたデータ(=のらもじ)はホームページ上から誰でもダウンロードすることができ、その代金は看板の持ち主に還元される――。そんな素敵なしくみも相まって、「のらもじ発見プロジェクト」は2013年の公開直後から大きな話題を呼びました。2014年度には、文化庁メディア芸術祭賞・エンターテインメント部門優秀賞も受賞しています。

友人2人と共にこのプロジェクトを進めているのが、大手広告代理店、電通でアートディレクターとして働く下浜臨太郎さん。下浜さんは、アクサダイレクト生命のECサイトのデザイン、「鏡月/ふんわり鏡月」シリーズの広告のデザインなど、さまざまなお仕事をされる傍ら、休日にはつい街を歩いて「のらもじ」を集めてしまうと語ります。そんな“2枚目の名刺”の実践者でもある下浜さんに、プロジェクトを始めた経緯からアクティブに活動を続けられる理由まで、2枚目の名刺webマガジン サムライト編集部がお話をお聞きしました。

やりたいことがないまま、電通へ

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――まずは、下浜さんがアートディレクターという“本業”に就かれるまでの経緯をお聞きしたいと思います。小さい頃から、いまのお仕事に憧れていたんですか?

下浜:いや、小さい頃は…普通に漫画家になりたかったです(笑)。実家に「火の鳥」や「ドラえもん」があって、それを片っ端から読んで育ったので「手塚治虫になりたいなあ」「藤子不二雄って天才だなあ」と思っていました。小学校の時には自分で漫画雑誌を作ったりもしていたんですが、いま思い返してみると、漫画を描くことよりも雑誌を作ることの方に力が入ってましたね。漫画を描いたこともないクラスの子に連載を頼んだり、読者アンケートをとってみたり、付録を作ったり、色々していました。

それから…“酒ゴマ”ってメジャーな遊びなのかな。一升瓶のフタをコマみたいに回して遊ぶ、お金のかからないベイブレードみたいなゲームなんですけど(笑)。それにも夢中で、いろんなデザインのお酒のフタを酒屋やコンビニの裏で集めたりしてました。こうして振り返ってみると、当時から漫画家というよりも、アートディレクター的兆候のほうが強かったんですね、僕(笑)。

――では、その後、美大に進学されて電通に入社されるというのは、自然な選択だったんでしょうか。

下浜:実は、その後の中高6年間は、運動部に入って部活ばかりしてたんです。勉強すらロクにしていなかったので、進路に困ってしまって。今さら勉強してもなあと思い、やっぱり昔から好きだった美術かなと。それで美大のグラフィックデザイン科に進学はしたものの、就活のタイミングではまだ、就きたい職業が漠然としていました。やりたいこともないのにメーカーや小規模なデザイン事務所に入ってしまうと、できることが限定されて後々合わなくなるかもしれないと思ったんです。それで、できるだけなんでもできそうな“広告”というジャンルを選び、電通に入りました。電通は、なんでもできるデパートみたいな場所だと思ったので。

看板を「眺めるだけ」じゃなく、「みんなで楽しめる」ものにするには?

ふじやキャプチャ

(↑「のらもじ発見プロジェクト」公式サイト。好きなテキストを打ち込むと、写真の看板の中に店名と同じフォントで文字が表示される)

――では、そんなデパートみたいな会社に入られて(笑)、「のらもじ発見プロジェクト」の活動を始められたきっかけはなんだったんでしょう。

下浜:僕は、入社当初から一貫してアートディレクターの仕事をさせてもらっていました。自分の仕事にも慣れてきた頃、友人のグラフィックデザイナーと話していて、彼の趣味が街なかの看板を撮り貯めることだという話になったんです。古い街並みにならぶ看板の手書き文字の多くは、著名なデザイナーが作ったわけでもなく、デザインとして洗練されているわけでもないのですが、どこか不思議な魅力があるんですね。

“味のある看板を撮る”という行為自体は、デザイナーや美大生ならやったことのある方はたくさんいると思います。看板を撮って眺めることは、もちろんそれだけでも楽しいけれど、鑑賞という個人的な遊びの枠を出ないわけです。これをもっとみんなで楽しめるものにするには?と考えて、「じゃあ、看板の手書き文字のフォントを50音分作って、Web上でダウンロードできるようにしたら、もっと遊びが広がるんじゃないか」とメンバーに提案しました。

街で見つけた文字を「のらもじ」と名付け、さらに形を分析しフォント化することで、鑑賞するということから一歩踏み込んで、文字を自分で使ってみることができる。それによって、文字の魅力を再発見することができるんじゃないか。そんなアイディアからスタートしたのが、「のらもじ発見プロジェクト」でした。

「文字」を通じて、まったく知らないお店の人と価値観の交換ができた

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――「のらもじ」を見つけるにあたっては、ご自身の足でいろんなお店に行かれたんですか?

下浜:そうですね。自分で街を歩き回って探しました。30店舗くらいは回ったと思います。でも、お客さんでもない人が突然お店に来て、「あなたのお店の看板をフォント化させてください!」って意味不明ですよね(笑)。なので最初はほとんどのお店が門前払いだったんですが、それでも快く許可してくださったお店には、丁寧な取材をすることを心がけました。

――1軒1軒お店を回って話を聞くというのは、かなり大変だったのでは?

下浜:確かに大変でしたが、むしろそれが楽しかったですね。普通の街歩きや路上観察って、観察した対象に対して何か働きかけたりはしないんですよ。写真を撮って自分のスマホのフォルダに入れて終わりなわけです。でも、僕の場合はもう少し入り込みたくて。野生の動物を安全なバスの中から観察するような関わり方ではなく、多少リスクをとってでも、ムツゴロウさんみたいに触れ合ったほうがより楽しめるんじゃないかと(笑)。ただもちろん、野生の動物はそのままにしておくべきだ、という意見もありますけどね。

…のらもじの取材を通してさまざまなお店に伺う中で、戦前から続くパン屋さん、父親から2代目を引き継いだ陶器屋さんなど、いろんなお店の歴史や物語を知ることができました。僕は僕で、お店の文字のどこに惹かれたかという話、どうしてこういう活動をしているかという話をして。“文字”を通して、それまでまったく知らなかったお店の方と、価値観の交換を行うことができたんです。

お金が還元されるよりも、「文字の記憶が残る」という喜び

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(↑「のらもじ in 東北」にて、協力してくださったお店の店主さんと)

――「のらもじ発見プロジェクト」は、フォントデータをダウンロードした人が料金を支払うと、フォントの提供者であるお店にそのお金が還元されるというしくみになっていますよね。このしくみを活かして2014年にはYahoo!JAPANと一緒に「のらもじ in 東北」というプロジェクトも主宰されたりしていますが、地域活性化をしたい、という気持ちもあったんでしょうか。

下浜:のらもじは確かに、そういった「地域活性プロジェクト」という文脈で語られることも多いです。でもこちらとしては、一方的にフォントを採集させてもらったことに対してのせめてものお礼、ということで、フォントに支払われたお金を持ち主に還元するしくみにしています。なので特に、プロジェクトを「経済活動」とは捉えてはいません。「のらもじ in 東北」では石巻の復興がテーマになっていましたが、寄付金で復興支援をするぞ!と大それたことを考えていたわけではないんです。

のらもじ発見プロジェクトで訪問させてもらったお店の多くは、跡継ぎがいなくて、その代でお店を畳んでしまう可能性が高い。そんな中で一番嬉しかったのは、お店のご主人が「店は自分が引退したらなくなってしまうけれど、文字がデジタルデータ化されることで、確かにここにこの店があった、という記憶が残る。それが嬉しい」と言ってくれたことです。そういう「記憶が残る」みたいなことに喜びを感じるから、このプロジェクトをやっているのかもしれないと、そのとき気づかされました。

小説家に、超有名DJも――!? 電通の中の人が持つ「2枚目の名刺」とは

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――すこし話は変わりますが、アートディレクターのお仕事ってすごく忙しいですよね。「のらもじ」の活動と本業、どうやって両立されてるんですか?

下浜:うーん…。皆さんも休みの日にはスポーツをしたり、テレビ見たり、それぞれの好きなことをしていますよね?僕はその時間をのらもじの活動に充てている、というだけです。さっき「酒ゴマ」の話もしましたけど、もともとグラフィックデザインが好きでそれを集めるのも好きだから。好きなことなので苦にならずやれている、っていうだけじゃないでしょうか。

――ちなみに、会社的にはそういった社外活動ってOKなんですか…?

下浜:あ、意外と電通はそういった社外活動にはすごく寛容なんですよ。例えばある人は毎週末にDJをやっていたり、空いている時間で小説家をやっていたりする。自分の本業以外に「2枚目の名刺」を持っている人が、実は非常に多いですね。むしろ、2枚目の方が世間的には認知されているような人もいる。そういった能力を、会社としてのさまざまな仕事に活かしている人も多い。だからむしろ会社としては「社外活動は積極的にやっていいよ!」という姿勢ですね。

――意外ですね、知らなかったです…!そういった社外活動だったり、副業をしてみたいのになかなか踏み出せない、という方はたくさんいると思うのですが、最後に、そういう方にメッセージがあったらお願いします。

下浜:本業以外に社外で活動をしている、という働き方を「2枚目の名刺」とか「パラレルキャリア」と呼んでいるんですよね?僕は、仕事以外にすこしでも好きなこと、打ち込めることがある人であれば、それはみんなパラレルキャリアを実践している人だ、と言っていいと思うんです。
例えば、写真が趣味で毎週末何かを撮りに出かける、という人なら、「写真家です」って名乗ってしまえばいいんじゃないでしょうか。名乗るのに勇気は必要だけど、悪いことをしてるわけではないのだから。
「のらもじ発見プロジェクト」も、文字の専門家の方にはけっこう批判されたりもしたんです。でも僕は、本業であろうとなかろうと、自分が本気でやっている活動であれば「やってます!」って胸を張れると思っていて。意外と、結果より気持ちの問題だと思います。

実はいま、「のらもじ発見プロジェクト」のようなアイディアで、町工場の新たな魅力を掘り起こすようなプロジェクトを考えています。詳しくはまだお話しできないんですが、のらもじと同じように、いろんな方に楽しんでもらえるエキサイティングな企画になると思っています。楽しみにしていてくれたら嬉しいです。

――本日は、本当にありがとうございました!

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ライター

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豊城 志穂
ライター
サムライト編集部