障がいがある僕だからできることを探して(SPJ経験者・飯塚俊幸さんインタビュー・前編)
NPO二枚目の名刺のサポートプロジェクト※1(以下、SPJ)は、ときとして参加者の人生を変えることがあります。社会の課題を見る目が変わったり、家族との関係が変わったり、中にはそれがきっかけとなって転職するひともいたり。
今回、私たちはサポートプロジェクトデザイナー※2から「『SPJへの参加を通して、自分のこれからを色々考えた』結果、障がい者雇用100%の会社を実現するため、埼玉で農業の勉強をしているSPJ経験者がいるので、ぜひ取材してほしい」との情報をもらい、埼玉県本庄市の飯塚俊幸さん(以下、とっしー)を訪ねました。
※1 SPJ(サポートプロジェクト)とは
サポートプロジェクトは、さまざまな業種・職種の社会人がチームを組み、新しい社会を創ることを目指す団体(NPOなど)とともに、団体の事業推進に取り組む有期のプロジェクトです。通常、5人程度の社会人チームが3〜4か月の期間で行います。
プロジェクトテーマは、パートナー団体と社会人チームで協議し、柔軟に設定して実施します。(NPO二枚目の名刺HPから)。
※2 サポートプロジェクトデザイナーとは
サポートプロジェクトで社会人チームと団体に伴走する役割。社会人チームのチームビルディング、チーム内や団体とのコミュニケーションを支援したり、チームの一人ひとりの状況に目を配り必要なサポートをします。
飯塚俊幸(いいづか・としゆき) 株式会社ひとなみ 代表取締役
群馬県館林市出身。生まれつき先天性難聴という聴覚の障がいを持つ。「弱さも個性と捉え、その個性を最大限に発揮することが社会に価値を生み出すことができることを証明したい」と株式会社ひとなみを起業。自ら農業研修(2022年3月で修了)に取り組みながら、「障がい者雇用率100%」の会社として事業を開始する準備に奔走している。(2022年1月現在)
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「何ができるか、何をやりたいのか」のヒントがほしかった
――お久しぶりです。今日はサポートプロジェクトに参加していただいた当時のことと、その後のことについてお聴きしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
とっしー:はい。よろしくお願いします。
――とっしーは、2回SPJに参加してくれていますよね。最初のSPJには、どんなきっかけで参加したんですか?
とっしー:はじめてSPJに参加したのは2019年です。営業で障がい者雇用支援などの仕事をしていた社会人1年目のときでした。当時はまだ曖昧でしたが「自分の障がいという特質をとおして何ができるか、何をやりたいのか」ということを考えていたんですね。
NPO二枚目の名刺のことは大学生の頃から知っていました。就職してから、会社での仕事にプラスアルファで何かやりたいと思ったときに、ネットでSPJ参加者の募集を見てCommon Room(CR:連携団体の代表などから直接話を聴くことができる、SPJ参加者向けの説明会)に申し込んだのです。
――仕事にプラスアルファで何かをやりたいと思っていたんですね。
とっしー:そうですね。「(自分に)何ができるか、(自分が)何をやりたいのか」のヒントがほしかったのだと思います。
最初は、実際に話をきいてみて、興味があれば参加しようかなくらいの気持ちでした。もちろん、僕の興味の対象は障がい者支援です。
――CRで団体の思いに触れて、いかがでしたか?
とっしー:実際に各団体の話を聞いてみたら、日本ハンドサッカー協会の団体の理念と自分の思いが一緒だったことで、ぜひ彼らとのプロジェクトに参加したいと思ってSPJの参加に手を挙げました。
「《障がいがあるからこそ、障がいを強みに変える》という想いを障がい者スポーツを通じて広めたい」
これが日本ハンドサッカー協会の考えです。当時パラリンピックも控えていて、協会としてはスポーツを通じてこの考えを広く発信したいと考えていました。
僕は、障がい者が弱者であることを前提とする「福祉」には興味がないんですね。そもそも《障がい者を弱者として扱う》という社会からの見方を変えたいんです。
「行動に移せなかった」、残った悔しさ
――SPJが始まってからは、どんなことが印象に残っていますか?
とっしー:キックオフのときはプロジェクトに一緒に取り組めることが面白そうだと思っていたし、ワクワクしていました。
ただ、実際にSPJがはじまってからは色々と苦労したんです。それは最後までそうでした。
――苦労?
とっしー:思っていることを行動に移せなかったんです。本業との両立が難しかったこともありますが、みんなの会話を聴き取りにくかったことが大きかったです。僕の聴覚障がいのことはメンバーに伝えていたし、気をつかってくれるメンバーもいましたが、複数人が同時に話したりするとやっぱり聴き取りにくいこともあって。
しかも、聴き取りにくいということをその場で言い出せなかったんです。
徐々に何となく発言しにくくなって、次第に聴こえていないときだけでなく、聴こえているときも意見を言えなくなってしまいました。
――聴こえに関係なく意見を言えなくなってしまったんですね。その後はどうしたんですか?
とっしー:SPJの中でやりたいことを言い出せないまま時間が過ぎていきました。期限もあったので、アイデアも現実的なものに落ち着いていくのをただただ見ていることしかできなくて、今思うとSPJが始まった頃のワクワクも消えていた気がします。
SPJ終了後にデザイナーとの振り返りがありますよね。そこで「あまり挑戦できてなかったのでは」と指摘されたのが図星で。
結局、身の丈を超える経験ができなかったし、悔しさが残りました。
次はチャレンジしようと思えた。終了後にはいい団体があればまた参加したいと思っていました。
同じ失敗を繰り返さない
――初めて参加したSPJでは悔しさが残ったわけですが、2回目のSPJはどんな経緯で参加することにしたんですか?
とっしー:2回目のSPJに参加したのは社会人2年目となる2020年です。当時、個人的にシェイクハートプロジェクトという団体とつながりたいと考えていたんですね。シェイクハートプロジェクトは、「障がいを特性に、特性をワクワクに」という理念を掲げています。この理念は最初のSPJで一緒に取り組んだハンドサッカー協会とも通ずるものがあって、障がい=福祉ではなく、特性として発信していこうという方向、そこに共感しました。
そんなタイミングで、シェイクハートプロジェクトとのSPJの募集を見たので「これは!」と思って、参加することにしました。
――1回目の2回目で参加する際の気持ちは変わっていたのでしょうか?
とっしー:前回のSPJでは身の丈を越えられなくて悔しさが残りましたが、シェイクハートプロジェクトの理念にも共感できるし、あとは自分次第で面白くなるのではないかと思いました。
――自分次第?
とっしー:自分次第というのは、理念の一致だけではダメで、自分の姿勢が大切だということ。1回目のSPJでの失敗を繰り返さないように、ミーティングなどでも自分の意見を発信し、議論にも積極的に参加するよう心がけました。ミーティングは毎回オンラインだったので、メンバーの意見を事前にスプレッドシートに書くことにしていたんですね。そんな工夫もあって、自分の意見を伝えられました。
だからか、ミーティング中もまちがってもいいから発言しようと思えました。リアクションもちゃんとするように意識して、例えば聴こえないときは「もう一回言ってください」と伝えたり。1回目のSPJでは、それがなかなか言えなかったんですよね。
――2回目のSPJに参加してみていかがでしたか?
とっしー:最終的に2回目のSPJはスッキリしました。中間報告会のときに主要なメンバーが欠席することになったんですね。最も大切なパートを誰が発表するか決めなくてはいけなったのですが、最初、誰からも手が挙がらなかったんです。
――中間報告会での大切なパートの発表、責任重大ですよね。
とっしー:そうなんです。そこで手を挙げたんです。他のメンバーは、「困ったら事前にでも、直前にでもミーティングしようね」と言ってくれました。無事に発表を終えることができて、1回目のSPJでは味わえなかった達成感を感じたし、身の丈を越えられた気がしました。
◆ ◆ ◆
はじめてのSPJでは身の丈を越える経験ができず悔しさが残ったとっしーでしたが、2回目の参加したシェイクハートプロジェクトとのSPJでは、積極的に役割を引き受けるなど達成感を感じることができたとのこと。
しかし、2回目のSPJも最後まで順調だったわけではありませんでした。
インタビュー後編では、そのあたりのことをお聴きするとともに、現在のとっしーがどんなことに取り組み、どこを目指しているのか掘り下げてお伝えします。
後編へつづく
ライター
編集者
カメラマン