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孤児が手に職をつけられる学校をー日本×フィリピンの美容師たちが「ハサミノチカラアカデミー」を設立

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「ハサミノチカラプロジェクト」北原義紀さんのインタビュー後編をお送りします。
前編>孤児や貧困地域の子どもにプロのカット体験をー美容師のプロボノ「ハサミノチカラ」発足前夜

本当の豊かさとは何か

ーーー一番最初にフィリピンに行った時に、北原さんが想像していたことと現実とで違ったことはありますか?

北原:最初は自分が思っていた以上にインフラが整っていないということに衝撃を受けました。同じ時代を生きているのに、こんなに日本とフィリピンでは違うのかとショックでした。

それから、例えば施設にいる子ども達はまだ守られているけど、施設に入れていない子どもがストリートチルドレンになって街にいっぱいいる。きちんと学校にも行けなかったり、ちゃんとご飯も食べられなかったり。なかなか目にすることのないシチュエーションだったので、衝撃でした。

マニラ空港から車でそのまま施設入りしたので、実際に街中の人達には触れ合わなかったのですが、道中に車の中から見たものや、NPOアクションのスタッフさんに聞いた話には本当に衝撃を受けました。2回目に訪れた時はまたちょっと捉え方は変わりましたけど。

ーーー2回目はいつ行かれたんですか?

それから半年後の11月でした。その時には1回目で経験したことを日本でたくさんの人に伝えていたので、集まったみんなで何か子ども達のために企画しよう、18歳の子達の成人式をやってあげようと、スタイリストさんやフォトグラファーさんも連れて行きました。現地のお宅にホームステイもしました。

ーーー1回目はホームステイではなかったんですね。

北原:はい、1回目は施設に泊まりました。2回目はホームステイをして、実際にフィリピンの村の中で生活している人達と接することができたのが良かったです。遠藤さん(カットツアーに同行した筆者)も経験したと思うんですけど、さっき言ったようにインフラが整っていないので、日本人からしてみたらとても大変な生活です。でも、なぜか可哀想だなとは思わなかったんですよね。日本にいると当たり前にあるものがフィリピンには無いけれど、無いなら無い中で工夫が生まれるんです。

あと、すごく考えさせられたことがあって。フィリピンの村では自分だけの部屋がないし、テレビもリビングに一つしかない。だから家族みんながリビングでずっと一緒に過ごすのが当たり前なんですよね。それを見た時に、こっちの方が日本より良いんじゃないか?って思ったんですよ。みんなの顔が見れて、今大丈夫か?何か変わったことはないか?って確認し合える。

外を歩いていても、危ないというより逆に安全だと思いました。子ども達を地域の人達が必ず見てくれているので。そう考えると、日本で今起こっているような悲惨な家族や地域の事件ってフィリピンでは起こりづらいんじゃないかと思います。

だとしたら便利ってなんなんだろう?と思ってしまって。フィリピンに住んでる人達にとっては、もっと環境を良くしたい、経済も成長させていきたいっていう思いがあるんだろうけど、実際に成長してしまった日本を見ると、何が幸せかって分からなくなる。

成長しきってしまった日本の人たちは、今後何を求めていくんだろうと考えると、働かないでお金をもらおうとか、自分で何かしなくても誰かがやってくれるとか“与えてもらう”という意識がすごく大きくなるような気がして。工夫って、無い時にしかしませんよね。でも考えたり、工夫したりすることってすごく大切なことなんじゃないかなと思うんです。何が正しくて、何が間違っているのかということを2回目では考えさせられました。

ーーー確かに私も、事前に何人かから「フィリピン大変だと思うよ」と聞いていて、ある程度覚悟はして行ったんですけど、実際に現地の人達と触れ合ったら、そんな不幸な感じというか、悲壮感のようなものは全くなかったなと思います。逆によく笑うし、笑顔が綺麗だなって思いました。

北原:そうですね。僕らが思っているほど彼らは不幸ではない。

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3回目のボランティアで感じた違和感

北原:2回目は1回目よりも多くの人たちが参加してくれて、いろんなチカラが集まってフィリピンの子ども達に新しい体験を届けることができました。このチカラをもっと広めて行けたらいいなと思ったのが2回目です。

フィリピンから日本に戻ったら、参加してくれた人たちがハサミノチカラのスピーカーとなって、もっとたくさんの人達にこの活動のことを広めてくれる。最初はスタイリスト4人だったのが、2回目では20人になり、3回目では35人くらいになりました。そうやって徐々に広まって行った感覚があります。でも3回目の時は、僕の中でまた違った大きい変化も生まれました。

ーーーそれはどのような変化ですか?

北原:3回目は、「ハサミノチカラツアー」になった最初の時だと思います。2回目までは仲間内だけで行っていたものが、ハサミノチカラの活動を雑誌で読んだり、誰からから聞いたりして参加する人たちができてきた。そうすると、僕的には仲間というより“ゲスト”みたいな感覚になってしまったんですよね。僕がオーガナイザーで新しく参加してくれた人たちがゲスト。2回目までとは全く違った意識でフィリピンに行きました。

正直、髪を切っていても、1回目・2回目に感じていたような高揚感が全く感じられなくなってしまった。ゲストのみんなは楽しめているのか?ということばかり気になりだして。成田空港まで戻ってきて解散した時にホッとしたんです。何事もなく無事に帰ってこれて良かったとか、参加してくれた人たちは楽しんでくれただろうか?とか、そんなことばっかり考えてて。

「なんだこれ?」って思いました。僕はみんなを楽しませるためにハサミノチカラの活動をしているのではないよなと。“誰かに何かをしたい”という思いで始めたことが、気がついたら“何かしてあげなきゃ”に変わってしまっていた。それはフィリピンの子ども達に対しても、美容師達に対してもそうで。美容師達に“フィリピンの孤児院や貧困地域の子ども達の髪を切るという体験を売る”という商品になっちゃうなと思いました。商品にすれば、行けば行くだけお金が動くだろうし、寄付も増えるんだろうけど、そもそも商品にしたくてこの活動をしているのか?という疑問にたどり着いて。それは違う!と強く思いました。

ーーー活動に対する違和感が芽生えたのですね。

北原:それに、ハサミノチカラの実施回数が増えれば増えるほど、プロの美容師に髪を切ってもらうのが初めてだった子達も初めてじゃなくなっていくわけです。無料でプロに切ってもらえるのが当たり前になってしまう。“髪を切ることに対してお金を払わなくてもいい”という構造になってしまうと思うんですよ。それだとハサミノチカラとしての趣旨とは違ってきてしまう。

“与え続ける”ことで確実に“依存”を生むなって思いました。依存を生むためにこの活動をしているんだったら、初めからお金を集めて寄付しちゃった方が手っ取り早い。依存しつづけるために可哀想だと思われておこう、という気持ちにもさせちゃうと思うんですよね。

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依存から自立へのステップ

ーーー“可哀想な私”でいつづけたら、自分で何かしなくても誰かが助けてくれる、与えてもらえる、ということですね。

北原:そうなんです。日本の生活保護の問題もそうですけど、「くれるって言うんだったら、せっかくだから貰っておこう」ってなるじゃないですか、自分の生活が良くなったとしても。今月から給料5万円上がったんでこの生活保護の5万円はいりません、とはならない。そういう人間の依存する性質って絶対あると思うんですよね。可哀想なままでいた方がいろんな援助を受けられたりするし。

そんな構造を作り出すのではなく、お金に困ってる人たちが自立するための支援がしたい。そのためには教育が必要だろうと「ハサミノチカラアカデミー」という学校を作りました。学校を作ることによって、そこから何か自分たちが生きていく術が生まれる。僕らにできることはカットを教えたり、美容師として自立する術を教えたりすること。いつかそんな学校が作れたらいいねって話していたら、その“いつか”がもう次の年には実現しちゃったというものすごいスピードでした。ジュウドさん(フィリピンの有名カリスマ美容師)はじめ、フィリピンの美容師達が協力してくれるおかげで実現出来ていることだと思います。

ーーージュウドさんはどういう関係で協力してくださることになったんですか?

北原:ちょうどハサミノチカラの活動を始めた頃にジュウドさんにその話をしたら、「僕にも協力させてほしい」とおっしゃって。ジュウドさんもフィリピンで20年以上美容師として働いてきて、何か社会貢献したいと思ったんでしょう。美容師として自分に何ができるのかというと、長年培ってきた技術を誰かに伝えるということなんです。自分の教わってきたものを次世代に伝えていくということが、一番の恩返しだと思うんです。僕たちだって、師匠や先輩達が面倒を見てくれたからこそ、ここまでやってくることができた。その人達から受けた恩を次世代に繋げていくということは必然の流れだと思います。

ーーーアカデミーには何人の生徒がいるんですか?

北原:一期生は15名でスタートしました。でも、色々な事情があって、最終的に残ったのは5名です。他の10名は親に引き取られたり、どこに行ってしまったのか分からないような子もいます。単純に脱落した子もいますし。

でも、それぞれに色々な事情を抱えている中よく5人も残ってくれたなと思います。この一期生の子達が結果を出してくれたからこそ、次に繋がっています。ちゃんと次に向かって進んでいるというところに未来を感じるし、その未来があるからこそ、自分たちも次に何をするべきかが見えてきました。

ーーーアカデミーを卒業した5名は美容師として働けているんですか?

北原:彼女達は高校生なのでまだ働いてはいません。高校を卒業したらジュウドさんのお店にお手伝いに入る子や、他の美容室に就職する子もいます。美容師という仕事を志して技術を習得して、美容室で働けるというところまで来たので、とても大きな前進だと思います。この子達がちゃんと美容師としてご飯を食べていけるようになることがとても重要です。

ーーー今後ハサミノチカラの活動をどうしていきたいですか?

北原:今までは漠然と活動していたんですけど、これからはきちんと形にしていかなければならないタイミングに来ているのかなと思います。現地に自分たちで美容室を作ったり。法人化するという話も出ています。僕たちだけで終わってしまうのではなく、これから先いろんな人たちにバトンを繋いでいくために、フィリピンの子ども達がちゃんと働ける環境を作るところまでやらないといけないと考えています。

僕はいつも何かを始める時には出口をどうするか考えて行動します。出口まで行って初めて物事は循環します。彼らが美容師として働いて、そして次世代の子ども達に教育できるところまで持っていく。彼らが自分たちで教育までできるようになったら、僕たち日本の美容師が手を貸さなくてもフィリピンの中だけで成立するじゃないですか。僕らがフィリピンに行ったことで、少しでもフィリピンの美容業界や子ども達の未来が変わったとしたら、行った意味がある。彼らが依存じゃなくて“自立”することが、僕の中での理想ですし、そうあって欲しいと思っています。

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子ども達の未来に繋がる次のステージを見据えている「ハサミノチカラ」。来年フィリピンに美容室をオープンすべく水面下で動いている。次回は、現地サロンの視察をしてきた美容室canvas.のオーナー小山﨑裕士さんにインタビューを行い、サロンオープンに向けた具体的な今後の動きをお聞きする。

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ライター

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カメラマン

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遠藤真耶
ライター
美容業界誌2誌の編集長を務めた後、2017年3月よりフリーランスの編集者として独立。撮影のキャスティング業も並行して行なっている。