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僕たちがインドネシアでプロジェクトを立ち上げる理由――新興国ソーシャルベンチャー共創プログラム(前編)

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NPO法人二枚目の名刺では、2009年より社会人5~6人がチームを組み、NPO等の事業推進に3か月間取り組むサポートプロジェクト(以下、SPJ)を展開してきた。

これまでは国内のNPO等を対象に取り組んできたが、今回、新興国の社会課題を解決する事業の開発・実行支援を行う一般社団法人Gemstoneとコラボレーションし、初の海外プロジェクトに取り組むこととなった。その第一弾が、インドネシアでのプロジェクトだ。

本プログラムは、日本からの遠隔コミュニケーションと短期間の現地渡航を組み合わせ、新興国のソーシャルベンチャー(社会的企業)の経営課題にチームで挑むというもの。実施国はインドネシアで、期間は3か月。参加者は本プログラムにおいて、ソーシャルベンチャーの事業を通して社会開発インパクトを創出するとともに、グローバルな視野、壁を越える自信、志を共にする仲間を得て、次の一歩を踏み出すきっかけを得る。

10月20日(土)にキックオフを行う予定で、プロジェクトメンバーは前日の19日(金)まで募集中。

プロジェクト概要・参加申し込みはこちら

なぜ今回、インドネシアでのプロジェクトを立ち上げることになったのか。そして、その狙いはいったい何なのだろうか。

インドネシアプロジェクトの立ち上げイベントの様子を中心に、前・後編の2回に分けてお届けする。

本業を持ちながら海外のプロジェクトに参加できる機会を

9月29日に、渋谷区神宮前のサーキュレーション社にて行われた「新興国ソーシャルベンチャー共創プログラム『インドネシア編』Common Room60」。会社員や大学生など十数名が参加したこのイベントは、NPO法人二枚目の名刺代表の廣優樹と、一般社団法人GemstoneのCEO、深町英樹氏による対談から始まった。

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NPO二枚目の名刺代表理事 廣優樹

廣:NPO法人二枚目の名刺で手掛けている国内でのサポートプロジェクト(以下、SPJ)は、実は、僕がオックスフォード大学留学中に取り組んだ、ベトナムでの農業プロジェクトを原体験にしています。普段の自分の仕事や取り組みの枠を超え、社会課題に向き合う。会社の名刺を使わず個人の名前で勝負した経験が、たくさんの刺激と変化をもたらしてくれました。

そんな機会を「2枚目の名刺」という形で、アイテムとともにたくさんの社会人に届けたいと思い立って取り組み始めたのが、SPJ。国内のNPOなどを対象に社会人がプロジェクトチームを組み、3ヶ月間事業推進に取り組むものです。

以前から海外のプロジェクトはずっとやりたいと思っていたんだけれど、なかなか海外プロジェクトをアレンジできずにいたところ、オックスフォードのアルムナイ(卒業生、同窓生)の会で深町さんと出会った。新興国でのプロジェクトを展開していた深町さんと意気投合し「一緒にやろう!」ということになったんです。

深町:私は小さい頃2年間パキスタンに住んでいたのですが、現地の人々にとてもあたたかく受け入れてもらったことが印象に残っていて、今でも自分のエネルギーの源泉になっています。現在は自分の会社を立ち上げ、日本の企業や現地政府などと協力して、新興国とビジネスを通じてかかわっています。新興国を援助の対象として見るのではなく、ビジネスを通じて互いに成長してけたらいいな、と考えています。

アジアの人達のエネルギーやまっすぐさからは、いつも本当に力をもらっています。特に、よりよい社会を新たなアプローチで築いていこうとする社会起業家からは、学ぶことがたくさんある。彼・彼女らの視点や姿勢は、多くの人に知恵や勇気をさずけるものだと考えます。そんな彼らと、意思ある個人(社会人)がともにプロジェクトを創りあげる機会を提供できたらと。

そんなわけで、私の方も構想は以前からありつつ、どのような形にすればよいか考えあぐねていたときに廣さんと出会い、実現に至ったというわけです。

それぞれの海外プロジェクト経験

ともにオックスフォード大学に留学してMBAを取得し、新興国での海外プロジェクト参加経験を持つ二人。今回のインドネシアプロジェクトに対する考えや、自身の実体験などが語られた。

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一般社団法人Gemstone CEO 深町秀樹氏

廣:深町さんが社会人に海外でのプロジェクトを経験する機会を提供したいと思う理由は、どのあたりにあるの?

深町:現地の社会起業家は、常に人・モノ・カネのリソースに枯渇しています。彼らは、次から次へと前に進んでいるから。リソース以外にも専門性や、きちっと物事を仕上げていくスキルなど、足りていないものは山ほどある。

一方で私もそうでしたが、日本で働く人達は、志や想いがあってもなかなかそれを表現する場がない。「仕事を通じて社会を良くする」という実感が湧く機会が少ないんですね。社内の既得権益であったり、既成概念や完成した組織に阻まれたりして、動きが鈍くなってしまう。

そんな二者が、お互いに補完できることはたくさんあります。私自身、自分にとっての同志や仲間と出会いたい、という想いもありました。

廣:なるほど。

深町:特に、オックスフォード留学中に挑んだインドネシアでのプロジェクトは印象深いものでした。ビジネススクールで一通りビジネスツールを学び、ケースもたくさんこなし、「腕試し」をしたいという気持ちもあったかな。オックスフォードでは、座学のほかに実際にコンサルティング・プロジェクトに取り組むStrategic Consulting Project(以下、SCP)というプログラムが組み込まれていて、その枠組みで、インドネシアで2か月間、NPO事業をコンサルティングするプロジェクトに取り組みました。

廣:それって、どんなプロジェクトだったんですか?

深町:新興国の貧困層向けにシンプルテクノロジーを届けるという事業に取り組んでいるNPOで、取り組んだテーマは「オンラインの新規事業の企画をつくる」というものでした。企画を形にし、最終プレゼンでもNPO側から「素晴らしい」と言っていただいたのですが、実はその企画を後日NPOが実施したところ、あまりうまくいかなかったようなんですね。そのことを知って、「企画をつくるだけでなく、実際に自分がつくったものを運用してみて改善しないと、ものごとは良くなっていないのだ」と痛感させられました。

その取り組みの目的は何なのか、自分がそこに参画することで何を実現するのかという視点が抜けていた。とても悔しい経験です。ただ今振り返ると、その経験があったからこそ今の自分があります。仮に今、同じプロジェクトの場にいたとしたら、まったく違う動きをすると思いますね。

廣:僕自身も、原体験はオックスフォードでのSCPです。以前は金融機関に勤めていたのだけれど、子どもが生まれたことをきっかけに、食の未来に関心を持つようになったんですね。オックスフォードに留学していたのは、ちょうどその関心が強くなり始めたころ。なので金融の勉強と平行して取り組んだのは、農業の業界に触れることでした。

SCPの取組は、「ベトナムの農作物対日輸出促進策を考える」というものだったし、MBAプログラムの中で書いた起業プランは、ナイジェリアにトマトペースト工場を作り、現地に食料供給能力と雇用・所得増を同時にもたらす事業を創るというものでした。特にSCPはとても刺激的だったし、まさに自分の人生を変えたプロジェクトだった。当時は農業のこともわからないしベトナム語も話せなかったけれど、「やってみたらできるんじゃないか?」という想いはどこかにあって取り組んだ挑戦でしたね。

予期しない出会い、たくさんの刺激

深町:廣さんは、プロジェクト資金も自分で調達したんですよね?

廣:はい。実は、学校が用意していたプロジェクトの中には農業プロジェクトがなかった。だから自分でファンディングしようと思って、東南アジアの農業といったらベトナムだ、ということで、唯一つながりのあったベトナム商工会議所にコンタクトしてみたんですね。そしたら、なんとプロジェクトを応援してもらえることになった。今振り返ると、とても幸運だったなと思いますが。

深町:そして、プロジェクトが始まったと。

廣:現地にまったく知り合いはいないから、最初はベトナムの商工会議所の方に1人だけ農業に携わっている方をご紹介いただいて、そこからは芋づる式で。町に行っては話を聞き、人を紹介してもらって次の場所へ行く、その繰り返しでした。ゲームをやったことがある人なら、リアルな「ドラクエ」をやっている感覚というとわかるかもしれない(笑)。

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最初はそれなりに順調に進んでいたんだけれど、途中でメンバーが急遽帰国しちゃったり、取り組みに関する誤報記事がベトナムで出たり、アクシデントも山ほどありました。ただ同時に、予想もしないような出会いがあって、いろんな刺激も受けました。ベトナム人の起業家から「ベトナムは若い力であふれている。日本はどうだ。君は日本に帰ればまた会社員をやるのかもしれないが、本当にそれだけでいいのか?」と投げかけられたときの衝撃は、今でも忘れられないですね。

深町:私はプロジェクトでの経験を通して、もともと目標としていた「ソーシャルベンチャーで働く」ことを体験でき、その後のキャリアを形成していくことができました。

プロジェクト後に出た私の結論は「ソーシャルベンチャーでも仕事という意味では変わりない、自分にはまだ日本の会社でできることがある」。オックスフォード卒業後は、一度古巣のヤンマー(深町氏は11年間、ヤンマー株式会社に勤務していた)に戻りました。会社に戻ったのは納得したうえでの決断でしたが、海外のプロジェクトで、「想い」で生きる人達との仕事を体験していたので、自分はそういう人達と一緒に働きたいんだ、という想いがどんどん強くなっていって。ソーシャルベンチャーを設立したり一緒に仕事をしたりと、より「納得感の高いキャリア」を創るようになりました。

インドネシアでのプロジェクト経験は、そのきっかけとして非常に重要でしたね。後から振り返ってみてわかったことですが。

廣:実は、NPO法人二枚目の名刺の立ち上げメンバーには、オックスフォード大学の卒業生が数名いるんです。同期の南章行さん(株式会社ココナラ・代表取締役)含め、やはりこのSCPが社会の役にも立つし自分にとっても刺激的だったから、もっとたくさんの人に経験してもらいたい、という思いが根底にあります。

深町:そうなんですね。

廣:最近、娘と一緒にことわざの『犬も歩けば棒に当たる』の意味を調べたら、ふたつの意味があった。ひとつは「余計なことをしなければ変なことは起こらない」。もうひとつは「やった人にだけおもしろいことが起こる」。僕には、後者の方がしっくりきます。よくわからなくてもとりあえずやってみることで、全然違う世界に出会えるんですよね。

深町:その経験は、今の仕事にもつながっている?

廣:プロジェクトに参加した5年後、商社に転職しました。当時は思っていなかったんだけど、プロジェクトから5年が経った時、「やっぱり食に関する仕事をしたい」という想いが抑えきれなくなったという感じ。今は、食料・食品の事業開発に取り組んでいます。

人生は、どのきっかけで変わるかわからない。今回のプロジェクトも、何か起こるかはやってみるまで全くわからないけれど、本気でやることで何かが変わったり、おもしろいことに出会ったりできるのではないかな、と思います。

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――後編へ続く

(画像1枚目=一般社団法人Gemstone様提供)

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手塚 巧子
ライター
1987年生まれ。日本大学芸術学部卒業後、出版社勤務等を経て、ライター・編集者として活動中。ビジネス、社会問題、金融、女性・学生向け媒体など、幅広いジャンルにて記事を執筆。小説執筆も行い、短編小説入賞経験あり。