「職業=自分」。複数の名刺を持ち、社会人が自律的キャリアを形成するサポートを
大手広告代理店・株式会社電通に勤務し経験を重ねてきた酒井章。2015年1月よりNPO法人二枚目の名刺の正式メンバーとして運営に関わり、比較的若い30代前後のメンバーが多い中で、独特の存在感を放ち組織を支える一人だ。そんな酒井は現在、電通の人事局に勤務しながらNPO法人二枚目の名刺に携わるだけでなく、6枚もの名刺を手に自身のキャリアを築いている。複数の名刺を持つことになるきっかけや理由は何だったのか?酒井のキャリアに対する考えを聞いた。
NPO法人二枚目の名刺との出会い
NPO法人二枚目の名刺との最初の接点は2013年。入社以来関わってきた広告代理店の営業部門からの転換を迎え、社が本格的にグローバルへと舵を切り人事制度も劇的に変わる中で、自身の今後のキャリアを考えるようになり、一冊の本「人生を変える二枚目の名刺」(柳内啓司著、クロスメディアパブリッシング)に出会い、そこで”二枚目の名刺”という考え方があることに気づく。
関心を深めさらに調べるうちに、その取り組みを組織的に行っているNPO法人二枚目の名刺の存在を知り、同年夏に開催されたイベント「国際協力Common Room」に参加。これがNPO法人二枚目の名刺との最初の関わりとなる。その時の印象を聞くと「NPOに直接接したのは初めてのことだったが、企業人だけでなく省庁の職員などもいて驚いた。全体的に社会課題に対する意識の高い人たちが集まっていると感じた」。そこから現在まで、NPO法人二枚目の名刺との関係は日々を重ねるごとに深まっていく。
シンガポールで得た「キャリアはセルフブランディングするもの」という価値観
営業部門での役割は、聞けば誰もが知る国内最大手の大手自動車メーカーの営業担当。大きな責任と成果が隣り合わせの様々なプロジェクトに、クライアントと一心同体となり取り組んだ。一日の大半はクライアントの社内で過ごし、すっかり組織の一員になったような働き方を続け、国内でのプレゼンスの向上に力を注ぐ。そして2004年にクライアントがアジアの拠点をシンガポールに新設する際には担当として共に海外赴任し、自社の現地ネットワークを立ち上げた。自社組織の経営の一端を担いながら、クライアントのアジアにおけるブランディングをさらに推し進める仕事を7年間、精力的に行った。
そのシンガポールでの経験で驚いたことは「人は辞めるものだ」という新たな認識だ。現地採用の職員は30〜40%もの人々が1年間で組織を去り、都合2〜3年弱で全ての職員が入れ替わる。日本国内の雇用情勢と大きく異なり衝撃的だったが、同時にそこでは職員がセルフブランディングに強い関心を持ち行動していることが強く印象に残った。今の役割をベースにステップアップしたい、いずれは欧米の一流企業に移りたい、自分の人材価値を更に高めたい、という欲求が尽きることがない多くのナショナルスタッフ(現地職員)と接する経験を得た。酒井は当時を振り返り「人には成長したい願望があることに気づいた」と語る。現地の職員が自律的キャリア形成を実践している様は、その後の酒井自身のキャリアに対する考え方や、後に担当する人事局での仕事にも大きな影響を与えることとなる。
「自律的キャリアの形成をサポートする」という新たな役割
シンガポールでの仕事を終え、帰国して数年間はグローバル展開に関する仕事に携わっていたが、2014年6月に大きな転機が訪れる。それまでの営業・グローバルという舞台で磨き上げてきた自身のキャリアから離れ、人事局へ異動になったのだ。会社全体がグローバル化に大きく舵を切る局面で、組織が適応していくために不可欠なキャリア開発の役割を担うことになった。
グローバル化への方針転換は、会社が世界市場で生き残るために必要な決断だった。これまで海外売上比率が10-15%だったものを、買収戦略などを通じ一気に50%程度まで高めることになり、組織の機能統合や会計制度の見直し、そして人事制度の変更が必須課題となった。この一連の変化について酒井は「国内事業のみに従事していたら、その必要性に気づかなかった」と言う。シンガポールで身につけたグローバルな視点と経験が、思いがけず自社組織が生まれ変わろうとするタイミングで必要とされたのだ。
こうして人事局において、社員全体の自律的キャリア形成の実現に向けた役割の一歩を踏み出した。同じタイミングでキャリアカウンセラーの資格を取得し、社内外のあらゆるリソースを活かし自らのミッションに向かい合う。そんな自らの現在の状況について酒井は「キャリアの第4コーナーは”腹をくくって”やり切りたいんですよ」と言う。その視線は力強く、やる気に満ちている。
NPO法人二枚目の名刺への共感、そして参加
そんな変化を経た年末、2014年12月にNPO法人二枚目の名刺の代表を務める廣から連絡があり、団体の合宿に誘われた。メンバーが事業の今後や組織のあり方について議論する、非常に重要で濃い時間だ。迷うことなく参加した酒井は、若いメンバーの中でどのように振る舞うかを留意しながら、自分の役割を見定め、丁寧に一人一人とコミュニケーションを取ることに注力した。
「NPO法人二枚目の名刺は、ベンチャーとしての”踊り場”にある」と酒井は考えている。それはかつて自身がシンガポールで経験した、新たな組織の立ち上げから成長していく場面に似ているからだ。成長への期待と共に課題は数多く、メンバーが一体となってそれらを乗り越えていく先に、新たな意味のある展開を得ることができる。NPO法人二枚目の名刺が更なるステップアップを実現するために、自分の経験を活かして出来ることは何でもやり、持っているノウハウを惜しみなく伝えよう、と合宿への参加を通じ、気持ちを固めた。そして何よりも若いメンバーの「本気」に共感し、これからもずっと共に歩みたいという想いが生まれた。
年が明けた2015年1月に代表の廣から酒井に一通のメールが届く。「NPO法人二枚目の名刺のメンバーになって下さい」。こうして酒井は正式なメンバーの一員となった。「自律的キャリア形成」という課題に企業の中と外から取り組むというハイブリッドな役割は、これまでの道筋を振り返れば酒井にとって必然的なものだったのかもしれない。
「職業:酒井章」として6つの役割に取り組む
今の酒井には6つの立場がある。企業の人事局の立場、横断ユニットから派生した「ダイバシティ・ラボ」という社内版・二枚目の名刺の組織の一員としての立場、キャリアカウンセラー、ワークショップデザイナー、NPO法人二枚目の名刺の一員、他に海外事業の経験から請われ関わっている早稲田大学(アジア・サービスビジネス研究所)客員研究員の立場。
一見、非常に多忙で混乱するのではないかと思われがちだが、本人曰く「それぞれの名刺に境目はない」のだそうだ。一つひとつの役割は異なっているようでも、自分自身の中では相互に関係しており、補完しながら相乗効果を高めており、どれ一つとして欠かせない役割になっているという。
「肩書きというのはいずれ無くなるもの。『自分の名前だけの名刺』を作りたい」と酒井は言う。「職業:酒井章」。いわばキャリアとはマーケティングそのものだ。自分が何者なのかを丁寧に形作っていき、自分だけの将来像を築いていく。そして立場の異なる別々のキャリアも時間を重ねいずれは自然と統合されていく。それはまさに自律的キャリア形成の実現を体現していることに他ならない。
即興性を大切に、予期せぬ変化を楽しんでいきたい
キャリア論において「仕事」には3つの段階があるとされているのだと酒井は言う。一つ目は「Job」=日々の業務。二つ目は「Career」=職業経験の積み重ね(いわゆるキャリア)。そして三つ目が「Calling」=天職。これまで経験し得てきたあらゆるものを統合し、天職として社会に果たす役割を実現していくことが、社会にとっても自分自身にとっても意味のある人生につながっていく。
それを実現するには、自分とは異なる価値観をどのように受け入れていくかという多様性の理解が欠かせない。それと同時に、「生産性と創造性のバランス」が重要なのだと酒井は考えている。生産性だけを突き詰めたらただの機械になってしまうし、それは生身の人間が追求するものではない。自分が新たな何かを生み出す「創造性」を磨くことこそが、私たちに与えられた役割であるし、また自律的キャリアの実現には欠かせない要素だ。
今、世の中は過渡期にある。過去の価値観から脱却し、働くことと生きることの環境の変化を前向きに受け入れ、適応していくことが求められている。予期せぬ変化をいかに楽しみながら柔軟に演じることができるか、そんな場面にこれから私たちの誰もが出会うことだろう。酒井はそんな局面では「インプロビゼーション(即興性)を大切にしていきたい」と語る。
キャリア理論の一つ「計画された偶発性理論」(スタンフォード大学・クランボルツ教授)にあるように、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」のだとすると、その偶然をいかに前向きに自分の計画に織り込んでいくことができるかが大切だ。それはまさにインプロビゼーション、即興性が私たちのキャリア形成には欠かせない要素となっていることを、酒井の言葉と行動から読み取ることができる。
一人ひとりが思い描く”自律的キャリアを築く”サポートを!
さらなる成長に向けて、NPO法人二枚目の名刺における酒井への周囲の期待も大きい。「これから団体の中でどのような役割を担いたいですか?」と聞くと、「NPO法人二枚目の名刺自体が、これからどんどん枝分かれして、多様性を広げていく時期に差し掛かっていると思います。私自身は、一人ひとりの“2枚目の名刺”のカタチがあっていいと思っていますし、それを支えていきたい」と答えてくれた。
酒井はこれからも、企業の中と外、6つの異なる立場を楽しみながら、自身の自律的キャリアをさらに磨いていくのだろう。そして自らが「キャリアの第4コーナー」と名付ける今この時を全力で「腹をくくって」駆け抜けていくその姿は、多くの人々の心を動かし、NPO法人二枚目の名刺を超えて社会を変える原動力となることを信じて疑わない。
ライター
編集者
カメラマン