【インタビュー】前編:大企業の採用担当、NPO理事、企業家…27歳の僕が、名刺を何枚も持つ理由
「パラレルキャリア」――それは現代経営学の父、ピーター・ドラッカーが提唱する、新しい働き方の概念。社会人が本業を続けながらも、他の仕事や非営利活動といったさまざまな活動にチャレンジすることを指します。
27歳にして大企業の採用・新規事業開発に携わりながら、NPO理事も務め、さらには自身の会社まで立ち上げてしまう……。そんな「パラレルキャリア」のお手本とも言うべき生き方をされているのが、株式会社HARESの代表、西村創一朗さん。
どのようにして「パラレルキャリア」を実践されているのか、西村さんにご自身のキャリアを振り返ってお話いただきました。
仕事、NPO、育児。休日には、少年サッカーチームのコーチも
――単刀直入にお聞きしますが、西村さんは今どんなことをされているんでしょうか。
西村:そうですよね。何足ものわらじを履いているので、まずはそこからお話しさせていただきます(笑)。僕は現在、大手人材総合会社で採用担当、そして新規事業開発に携わっているとともに、昨年立ち上げた株式会社HARESの代表を務めています。また、学生時代から参加しているNPO法人「ファザーリング・ジャパン」の理事もさせていただいています。
そして、これは自分にとって非常に多くを占める部分なのですが――3人の子どもの父親でもあります。休みの日には、長男が所属している少年サッカーチームのコーチも務めています。とにかく、「やりたいことは我慢しない」というのが僕の信念です。
「父親だけれど学生」であることに葛藤した日々
――西村さんはまさに「パラレルキャリア」を体現されていますが、どういった経緯で現在のように何足ものわらじを履くようになったのか、教えてください。
西村:始まりは、19歳、大学生のときに学生結婚をしたことでした。
彼女との間には子どもがいたので、僕は妻と子どもを養うために、大学を辞めて働くつもりでした。しかし、妻の両親が「大学は通い続けてきちんと卒業しなさい」と強く言ってくれて。その好意に応えて大学には行き続けましたが、1年生の冬の時点で僕はもう、完全に就活モードでした。「ちゃんと就職して、妻にもご両親にも恩返しをしなければ」と思っていたんです。
大学2年を迎えるころ、僕の中に葛藤が生まれました。
というのも、「父親である自分」と「学生である自分」を両立するのがすごく難しくて。「父親なのに自分のお金で家族を養えていない」ということがつらく、父親として胸を張れないな、と思っていました。自分が父親であることは、本当に我が子にとって幸せなのか?と自問自答したこともありました。
そんなときに新聞の社会面を読んでいて見つけたのが、ファザーリング・ジャパンの代表、安藤哲也さんの記事でした。記事によると、ファザーリング・ジャパンは「父親であることを楽しもう」という理念のもとに活動しているNPO法人、ということでした。
「笑っている父親が社会を変える」という安藤さんの言葉を目にして、もう、電撃が走りましたね。それまで弱みでしかなかった「学生でありながら父親」という自分のステータスが、大きな強みだと初めて思えたんです。
「ここなら自分を活かせるんじゃないか」。そう感じ、新聞を読んだその日の夜に安藤さんのブログから、「インターンさせてください!」とメールしました。実は、最初は断られたんです。「君はまだ、ボランティアをしている時間があるなら家族の時間を過ごしたり、働いてお金を稼いだりした方がいいと思う」と安藤さんはおっしゃって。でももう僕は心が決まっていたので、食い下がりましたね。
「学生だけれど父親」を活かして、組織を立ち上げる
――その熱意の甲斐あって、西村さんのジョインが決まったんでしょうか。
西村:そうですね。当時のメールが本当に青臭くて(笑)。「僕は世界一のパパになりたいんです!」って書いてました。それに折れた安藤さんが、「じゃあ、ただ事務所に来るだけだとつまらないから、学生組織みたいなのを立ち上げたらどうか」と提案してくださいました。
お話を聞いた翌日に企画書を書こうと思ったんですが、もう、興奮で頭がフル回転していて。ベッドから出て、午前3時から朝まで企画書を書いて、できたものをすぐに安藤さんに送りました。そのスピードに感動してくださったのか、インターンとしてのジョインが決まり、同時に学生組織である「ファザーリング・ジャパン・スチューデント」の立ち上げも決まりました。
それからは、「学生なのに父親」であるという自分のユニークネスを活かした取り組みを、ファザーリング・ジャパンの中でやらせていただくようになりました。
「安定した生活は安定した会社で得られるものではなく、自分で作り上げるものだ」
――では、就活を経て、現在の会社(大手総合人材会社)を選ばれた決め手はどこにあったんでしょうか。
西村:僕には就活当時から妻と子どもがいます。だから、基本的には安定志向なんですよね。「どんなにやりがいや社会的な意義がある仕事でも、まったく稼げなかったら意味がない」と考えています。
その上で、ファザーリング・ジャパンの活動を通じて出会った方々を見ていて、強く思うようになったことがありました。それは、「安定した生活は安定した会社で得られるものではなく、自分で作り上げるものだ」ということ。
今の時代、あした何が起こるか分かりません。仮に会社が潰れるようなことがあったとしても、自分のスキルで食べていけるような力を20代のうちにつけなければ、と思ったんです。OB・OG訪問では100名以上の方に会いましたが、僕が現在所属している会社の人たちからは、総じて「きちんと自分自身の言葉で、自分の人生について語っている」という印象を受けました。この人たちと一緒に働きたいな、と思ったので、今の会社への入社を決めました。
「自分は代替可能な存在なんじゃないか」という疑問
――新卒で大手企業に就職し、「ファザーリング・ジャパン」の活動にも参加するというのは、かなりハードだったのではないでしょうか。そんな中で、さらにご自身の会社を立ち上げられたのはどうしてですか?
西村: 株式会社HARESを立ち上げたのは、ちょっとした“疑問”がきっかけだったように思います。今の会社に入って3年目を迎えた年、社内でもそこそこの仕事を任せてもらえるようになっていた一方で、「この会社の中で僕にしかできないことってなんだろう。自分は代替可能な存在なんじゃないか」という気持ちが時々、沸き起こるようになりました。
そこでふと、「ブログをやろう」と思ったんです。もともと発信することは好きだったんですが、得たことをきちんとアウトプットできる場が欲しい、と思って。ブログで自分を差別化したい、という気持ちもありました。
ブログを立ち上げて、研究・発信を繰り返していくうちに、しだいに月間10万PV、20万PVという数字がとれるようになってきて。別に個人事業主でもよかったんですが、法人化したのはちょっとしたノリです。……というのは冗談です(笑)。
僕がいま自分の会社、株式会社HARESでやっていることは、「副業禁止規定を設けている会社をゼロにする」「男性の育休取得率を上げる」ための活動です。そのために、自分のブログやWebメディアを通しての発信も続けています。
ひと言で言うなら、僕の目標はずっと「二兎を追って二兎を得られる世の中をつくる」ことなんです。育児と仕事、あるいは仕事と他のやりたいことを両立させてシナジーを生むような「二兎を追って二兎を得る」ことのできる人が、もっと増えてほしい。そう思っています。
ライター
編集者
カメラマン