パラスポーツを盛り上げよう!「二枚目の名刺×パラスポーツプロジェクト」キックオフイベントレポ
2017年11月6日、東京・御茶ノ水ソラシティにて『二枚目の名刺×パラスポーツプロジェクト』の立ち上げイベントが開催された。本プロジェクトは異業種の社会人とパラスポーツの競技団体が協働し、PRを始めとした様々なアイデアを実行に移すというものだ。今回は2つのパラスポーツ競技団体が参加し、競技の魅力や課題をプレゼン。様々なバックグラウンドを持つ参加者とのマッチングが行われた。
2020年への機運高まる中で
2020年に東京で開催されるパラスポーツの国際大会まで3年弱。
日数に直せば約1000日前と節目に当たることもあり、同月には各地でパラスポーツ関連のイベントが開催され、大会へ向けた機運の高まりを感じさせた。同様に、本イベントにも多くの参加者が集まり、〝2020年に向けた自身の関わり方〟を模索する意志が見て取れる。
今回プロジェクトメンバーを募る競技団体は『日本パラ・パワーリフティング連盟(JPPF)』と『日本肢体不自由者卓球協会(JPTTA)』の2つ。JPPFに関しては2017年2月〜6月まで行われたサポートプロジェクトに続き、2度目の参加だ。前回のプロジェクトでは、協働した6名のメンバーと共に、同年5月に東京・上野公園で開催されたパラスポーツイベント『NO LIMITS SPECIAL 2017』等において競技のPR活動を展開。詳細は別記事に譲るが、『いきみ顔選手権』や『おもいを挙げるプロジェクト』といったユニークな取り組みを実施し、成功を収めた。
JPPFの吉田進理事長は言う。
「当初は何が始まるのか未知数でした。ただ、私はパラ・パワーリフティングという殆ど知られていないスポーツが大好きで、なんとか盛んにしていきたかった。その思いをプレゼンしたところ、メンバーの皆さんがグッと食いついてきてくれた。実際にやってみると色々な化学変化が起きて非常に面白い結果が出ましたね」
続いて、メンバーとして活動した内の2名、山本光希さんと荒井誠一郎さんが、セッション形式でプロジェクトを振り返ったのち、2つの競技団体が各々の思いを伝えるプレゼンテーションを行った。
〝人手不足〟でも、〝可能性は無限〟
まずJPPFの吉田理事長が台に立った。
パラ・パワーリフティングは下肢障がいを持つ選手によるベンチプレス競技。『パラリンピック』という名を冠した初めての大会である1964年の東京パラリンピックから正式種目として採用され、パラスポーツの歴史と共に歩んできた。
競技の魅力は大きく4つ。1つ目は〝純粋な力比べ〟という点。パラスポーツの多くは障がいの程度に応じてクラス分けがされているが、当競技は体重別のクラス分けのみ。純粋に上半身のパワーを競う、シンプルなものだ。2つ目は〝選手の仕草〟である。下半身での踏ん張りがきかない為、選手は自身の上半身に全意識を注ぐ。その為、選手たちは試技の前に各々のスタイルで集中力を高めていく。十人十色の仕草から、競技に没入していくさまを見ることができるのだ。3つ目は〝コーチの力〟。選手の仕草とセットで、間近で鼓舞するコーチの様子を見ることも観戦のポイントだ。そして最後は〝健常者を上回る記録〟。世界記録を持つイランのシアマンド・ラーマン選手は昨夏のリオパラリンピックで310kgを挙げ、健常者の同クラスにおける世界記録283kgを約30kg上回った。
吉田理事長は「現代のスポーツ科学では解明しきれていませんが、健常者に比べて脳が特殊な働きをしている様です」と説明する。
大記録に沸き立ったリオパラリンピックでは4000人の観客を動員したが、一方で日本国内での知名度は低いのが現状だという。
「試技を映し出す大型モニターの導入やBGMなど、これまで力を入れていなかった演出面でも工夫を始めています。各地での体験会や小学校での特別授業なども開催していますが、やはりまだ運営面での人手不足が課題。盛り上げ方を一緒に考えていきたい」
続いて、JPTTAで広報を務める立石イオタ良二さん。自身も卓球選手だったが、家業の額縁屋を継ぐにあたり競技からは退き、現在は肢体不自由者卓球(以下、パラ卓球)の普及に勤しむ。兄はパラ卓球の日本代表選手として活躍しており、立石さんは家業、広報活動の傍ら、兄と二人三脚で東京パラリンピック出場を目指している。
立石さんが話すパラ卓球のアピールポイントは2つ。1つは〝獲得可能メダルの多さ〟だ。パラ卓球には車いすと立位の計10個のカテゴリがあり、パラリンピックでは各国それぞれ最大3名の選手を派遣することができる。これに団体戦を加えると、男女の合計で64度のメダル獲得チャンスがあるのだ。
「最大64個のメダルを目指せる。オリンピックの卓球では絶対にあり得ないことです。2020年に最多のメダルを獲得したい」と夢を語った。
もう1つは〝日本の恵まれた卓球環境〟。小中高の体育館や、公共施設には卓球台が常備されており、いつでも、どこでも、誰でもプレーすることができる。その裾野の広さが、昨今の健常者卓球のメダルラッシュに繋がっているとも言える。
「昨年のリオパラリンピックではベスト8が1名、2名が予選敗退。でも、3名とも正式なコーチを付けずに我流で練習して、日本代表になっているんです。今、健常者卓球からコーチの派遣を促していて、競技の底上げを図ろうとしているところです」
立石さんはそう語り、これからの伸びしろを強調した。
パラ卓球の現状については、「競技の魅力や個性的なキャラクターは揃っているものの、フルタイムのスタッフが現在2名と少なく、現体制下ではそれを生かしたPR活動を展開しきれていない」という。
いずれの競技団体も〝人手不足による広報活動の制限〟や〝新鮮な視点〟を課題や希望として挙げた。
スポーツ熱を胸に、軌を一に
マッチングイベントから週をまたぎ、集まったプロジェクトメンバーによるキックオフミーティングが、東京・虎ノ門の日本財団ビル内『パラリンピックサポートセンター』にて行われた。
11月13日にパラ・パワーリフティング、16日にパラ卓球がそれぞれキックオフとなったが、1枚目の名刺(本業)を聞けば、学生から社会人まで多彩な顔ぶれ。業種も製造業の法務部から経営者、IT企業、パーソナルトレーナーまで様々だ。しかし、メンバーに見られる共通項は〝スポーツへの熱意〟だろう。
「業種はスポーツとは無関係ですが、〝スポーツが生み出す熱狂〟が好きで、何かの形で貢献したいと思いました」(Yさん/パラ・パワーリフティングチーム/電子機器メーカー勤務)
「学生時代からスポーツビジネスに関心があり、いずれは自分で事業を始めたいと思っていました。そのきっかけになれば」(Mさん/パラ卓球チーム/IT企業勤務)
各自の自己紹介が済むと、改めて競技団体からのオリエンテーションが行われ、以降は協働に向けたブレインストーミングが始まった。
チームの雰囲気はそれぞれ異なる。
パラ・パワーリフティングは、メンバーのアイデアにJPPFのスタッフがじっくり耳を傾け、やや穏やかに進行する。吉田理事長と、事務局長を務める吉田寿子さんが「私たちは競技が好き過ぎて、どうしても視野が狭くなってしまうので」と口を揃えて言う様に、まずは客観的かつ柔軟な意見を取り入れていく姿勢が伺える。
パラ卓球に関しては、対照的にJPTTAの立石さんがアイデアマン。豊富なネットワークを生かし、プロジェクトの種を撒いていく。メンバー間でポストイットを使いながらミーティングを行う最中にも、デスクに貼り出された案を拾い上げながら次々とフラッシュアイデアを投げ入れてくれる。範囲は、プロモーション映像の制作企画や、卓球のプレー映像撮影のロケーション案まで多岐に渡る。しかし、実際にアイデアを推進するのはプロジェクトメンバー。時にはコーディネーターからクールダウンを促されて頭を掻きながらも、立石さんから湧き出る熱量にメンバーも刺激され、輪をかけてミーティングが白熱していった。
この日を皮切りに、3ヶ月間続く競技団体とプロジェクトメンバーの伴走がスタートした。視覚障がいランナーを導く、『ガイド』と呼ばれる人々に代表される様に、パラスポーツは多くのサポーターの伴走によって成立している側面がある。同時に、日本国内においてはまだ普及段階にある『障がい者スポーツ』という領域において、競技を運営する団体や連盟のスタッフたちもまた、新鮮な発想で自分たちを導いてくれる伴走者を求めているのだ。コアにある思いはやはり〝スポーツへの熱意〟である。
3ヶ月後、両プロジェクトチームは、どのようなアイデアを世に送り出しているのだろうか――。
ライター
編集者
カメラマン