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本業で感じていた不安と、昔からの夢が背中を押した。私の価値観を変えた2枚目の名刺

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長澤佑美さんは現在、医療法人の管理部部長として働く。人事労務のほか法人営業などの業務をおこないながら、NPO法人二枚目の名刺の運営メンバーとしても活動する。

2016年にサポートプロジェクト(以下、SPJ。NPO団体等が掲げるミッションや想いに共感し集まった社会人がチームを組み、NPOの事業推進に3か月程度取り組む)に参加したのをきっかけに、2枚目の名刺の活動をスタートさせた。

現在はサポートプロジェクトデザイナー(以下、SPJデザイナー)として、複数のプロジェクトに並行して携わる、多忙な日々をおくっている。

前編では、長澤さんが2枚目の名刺を持つようになったきっかけや、活動の中で得たものなどについてお話をうかがう。

本業への不安と自身の夢が行動につながった

長澤さんがNPO法人二枚目の名刺にはじめて参加したのは、Facebookで見た告知がきっかけだ。

数年前にその存在を知り興味は持っていたが、当時は埼玉の医療法人に勤めていて、平日は夜遅くまで働き土曜日も勤務していた。そのため、都内で開催されるイベントなどへの参加が難しいという事情があった。また、常に忙しい環境の職場に対し、「本業以外の活動のために早く帰りたい」とはなかなか言い出せなかったという。

あるとき、当時住んでいた埼玉県で作戦会議(NPO法人二枚目の名刺が実施する、少人数でさまざまなテーマで対話する会)がおこなわれるという告知をFacebookで目にする。「このきっかけを逃したら、このまま一生行かないかもしれない」と、すぐに参加を決めた。

帰りがけに代表の廣から「他のイベントにも来てみたら?」と声を掛けられ、CommonRoom((NPO法人二枚目の名刺が主催するオープンなネットワークイベント)へ出席することになる。それが、SPJに参加するきっかけとなった。

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長澤さんが2枚目の名刺としてSPJに参加したいと考えた理由は、ふたつある。

ひとつは当時、経営企画室の室長として勤務していた、本業の医療法人の仕事で感じていた不安だ。

「人事労務や新規事業の立ち上げなど、事業全体を見渡す立場として、本当にいろいろな仕事をさせてもらっていました。本業の仕事を通じて成長し、よい経験をさせてもらっていることに感謝していました。ただ、医療業界しか知らないことに不安を感じ、外に出たいと考えていたことも事実です。『この業界を出てもほかの人と渡り合い、仕事をしていけるのか?』という気持ちは、以前からありました。

また、医療業界もサービス業ですから、患者様から選ばれないと残ってはいけない。ですが業界の中に閉鎖的な風土があり、もっと外の知見を入れていかなければ、患者様から信頼され選ばれる医療になっていかないのではないか……と、危機感を感じていました。日々の業務が忙しく、各スタッフが医療従事者として目指す想いに寄り添う時間が取りにくかったことも、ジレンマでしたね」

もうひとつは、2枚目の名刺を持つことで、自身が好きなことに携われるかもしれないという期待だった。

「子どもの頃からクラシックバレエやコンテンポラリーダンスをやっていて、将来的にはアートマネジメントなど、芸術にかかわる仕事がしたいと思っていました。ただ、現実には狭き門だったため、そのような仕事を本業にすることは難しく『趣味として続けるしかないのかな』とあきらめていました。

でも、本業ではなく2枚目の名刺という手段ならば、進みたかった道ややりたかったことに、今の自分で何かしらかかわれることがあるのではないかと考えたんです

本業に取り組む上で感じていた「このままでいいのだろうか」という気持ちと、昔から憧れていたことに取り組めるかもしれないという気持ち。そのふたつの想いが、長澤さんを2枚目の名刺への活動へと駆り立てた。

はじめての2枚目の名刺の活動で得たもの

長澤さんが最初にSPJメンバーとして携わったのは、NPO法人子育て学協会(幼児期からのアイデンティティ教育やファミリービルディング等の実践・普及活動をおこない、子どもたちの育成や保護者の成長を通じて人を大切にする社会を目指す団体)。

SPJは、想いに共感した人ならば誰でも参加できるプロジェクトであると知り、『これなら自分でもチャレンジできるかも』と思いました。CommonRoomで話を聞くまでは団体のことは知らなかったのですが、目に見えるスキル教育へ偏らず、子どもが『自分らしさ』を確立すること、人格形成の基盤に重きを置いている点に魅力を感じました。医療・福祉の仕事に長年従事していたため、何か役に立てるかもしれないとも思いました。

ただ、当初は団体の活動にものすごく興味があったというよりも、『この団体さんだったら、自分はこんなことがやってみたいな、こんなことができるんじゃないかな』という気持ちの方が強かったですね」

2016年の年末、職業もバックグラウンドも異なる計6人のメンバーで、プロジェクトはスタートした。

「プロジェクト期間中は、とにかく楽しかったですね。それぞれの価値観は違っても、『一生懸命やろう』という姿勢の人たちとひとつの目的に向かって取り組むことはこんなにもおもしろいことなんだ、と実感しました。

当時のプロジェクトのメンバーとは、今でも連絡を取り合っています。義務感ではなく精神的な『想い』だけでつながることで強い結束が生まれ、ともに過ごした時間や会った回数などの制約などは、軽々と超えてしまうものなのだなと思いました」

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既婚者や子育て中などのメンバーが大半だったため、子どもの面倒を見ながらオンラインでミーティングに参加するメンバーがいたり、全員が揃って集まれる機会がなかったりと、時間の捻出が難しいという点があった。プロジェクト期間中はさまざまなオンラインツールを活用し、コミュニケーションを取るように工夫した。

本業ではある程度の役職や経験を重ねているメンバーが集まっていたことから、あえてリーダーは決めず、フラットな立場でメンバー同士がかかわることにしていたという。

団体への理解を深めたり、本音を引き出したりするため、50個以上もの質問項目をメンバーで考え質問するなどの地道な取り組みも実施。団体の認知度拡大を目指し、約3ヶ月のプロジェクト期間の中で、WikipediaやFacebookのコンテンツ作成、プレスリリース配信のため1000名近くにアンケート調査をおこなうなど、発信力強化につとめた。

SPJがもたらした変化

SPJへの参加は、長澤さんの本業にも良い影響をもたらした。

「当時、職場では責任ある仕事に就いていたため、小さなことでも部下を厳しく指導しないといけない立場でした。そのためどうしても、ピリピリとした雰囲気をまとっていたかもしれません。

SPJに参加するようになり、自分が本業以外の場所でもイキイキと活動できる場ができたことで、良くも悪くも本業に固執しなくなりましたし、寛容になれたと思います。職場の人たちからも、『前と表情が変わったね』『楽しそうだね』と言われるようになりました。もし参加していなかったら、以前の怖い表情のまま、働いていたと思います」

長澤さんははじめてのSPJの経験を通じて、再認識できたことがあったという。

「人の間に入って調整したり、メンバーがどういう想いで参加しているのかという気持ちの部分を引き出したり、相手が納得していない時はとことん話に付き合ったりなど、もともと自分が本業の中でもやっていた『人の気持ちに寄り添う』という役割を、SPJの中でも自然とやっていることに気がつきました」

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最初は、自分がやったことがないことや、本業では発揮していない新たな一面を発見するために参加したSPJ。しかし結果的には、自分の『強み』『得意なこと』を改めて知り、役立てられる場になったのだ。

SPJをきっかけに新たな目標へ

SPJが終わって間もなく、長澤さんは当時の仕事を辞めることを決意する。

「SPJを経て、『同じ想いを持つ人と活動したい』『もっと楽しいことをしていきたい』という気持ちが高まっていました。従事してきた医療業界にも、違う立場からそういう風を吹かせられないかチャレンジしてみたい、と思ったんです」

SPJの経験は長澤さんに勇気を与え、大きな決断をさせるほどに行動を変えるほどのものとなった。

幸い職場の人たちは長澤さんの新たな目標を応援し、こころよく送り出してくれた。退職後、長澤さんが仕事を辞めたことを知った廣から「うちの団体の運営メンバーにならないか」という誘いを受け、NPO法人二枚目の名刺のメンバーとして正式に加入することになる。SPJをきっかけに自分の気持ちに正直になり、はじめの一歩を踏み出した。

「私自身が何かを創りだすなどクリエイティブなことはできませんが、人の想いに寄り添ったり、人と人をつないでいったり支えたりすることはできるのではないか、と思いました。自分の強みや好きなことを再認識できるきっかけをつくってもらったNPO法人二枚目の名刺に、今度は運営という立場から、自分もその『気づき』を提供できるようになれたら、と思ったんです

その後は、NPO法人二枚目の名刺という団体がどのような活動をしているのか理解を深めるため、他の運営メンバーに直接会って「なぜこの活動をしているのか」「どんなことをやっているのか」をくわしく聞いたり、他のメンバーが取り組むプロジェクトやイベントの手伝いをしたりと、積極的に行動した。

昨年の秋には、文化庁のアートプロボノ推進事業の一環であるアート団体とプロボノワーカーをつなげるイベントで、中間支援団体としてのスピーチやマッチングセッションなどを担当。今年の春には、介護をテーマとするNPO法人との共催イベントの企画・運営など、2枚目の名刺の活動をひとつひとつ、形にしていった。

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SPJ最終報告会後に、子育て学協会のSPJメンバーと一緒に。(写真=長澤さん提供)

「もしもあのときSPJに参加していなかったら、今のように社会課題に興味を持つこともなかったでしょうし、たとえ関心を持ったとしても、今ほど積極的に活動することはなかったと思います。『何でもいいから一歩踏み出してみよう』とSPJに参加したことが、すべての始まりでした。2枚目の名刺は、私のように経験や資格などがなくても誰でも持つことができ、スタートできることが強みだと思います

本業で多忙な毎日の中、思いきって踏み出したSPJという2枚目の名刺の活動は、結果として、長澤さんの人生や価値観に大きな影響を及ぼすことになった。

後編では、長澤さんが2枚目の名刺の活動をおこなう上で大切にしていることや、今後の目標などについてお聞きする。

写真:ハラダケイコ

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手塚 巧子
ライター
1987年生まれ。日本大学芸術学部卒業後、出版社勤務等を経て、ライター・編集者として活動中。ビジネス、社会問題、金融、女性・学生向け媒体など、幅広いジャンルにて記事を執筆。小説執筆も行い、短編小説入賞経験あり。