【地方拠点のパラレルキャリア】2枚目の名刺は生きていく理由の一つ「ここでできることを続ける」
「ミエニアル」は、現役の公務員でもあり、公務員×2枚目の名刺プロジェクトのメンバーでもある高沖紗希さんが、自身のパラレルキャリアとして運営を始めた“三重にあるモノ・コト・ヒトにスポットを当てたwebメディア”である。
その記念すべき第一回目の記事を転載させていただく。
パラレルキャリア実践者(公務員×Webメディア運営)による、パラレルキャリア実践者(事務職×画家)へのインタビューだ。
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JR津駅東口を出て徒歩10分ほどの四天王寺会館という建物の2階にある、作家たちの共同アートスペース「PORT」が記念すべきミエニアル初回のインタビュー会場となった。
出迎えてくれたのは画家の知良(ともみ)さん。
この共同アートスペースを運営するメンバーの一人で、油絵作品を中心に制作している女性だ。
知良さんを初回のインタビュイーとした理由はいくつかあった。
まず一つ目に、知良さんは平日の日中は事務職として働きながら、それ以外の時間で画家として活動しているという、いわゆる“パラレルキャリア”であるということ。パラレルキャリアとは、本業とは別に第二・第三の軸を持って活動することを指す。このミエニアルも編集部メンバーのパラレルキャリア活動の一環として運営されていることから、同じくパラレルキャリアを実践している人には注目していきたいと思っている。
そして二つ目に、一般的にギャラリーの数などは地方よりも都会のほうが多いため、都会にいるほうが作品を発表する機会にも恵まれるのではないかと思われるが、知良さんは三重県を拠点に活動している。ミエニアルではこのように三重県という一地方に根付いて活動している人を積極的に取り上げ、“地方で自分のやりたいことをやるにはどうすれば良いか?”ということを一緒に考えていきたい。
さらに言えば、その“自分のやりたいこと”について熱量が高い人に話を聞きたいと思っているが、編集長が今まで出会った人の中でも知良さんはご自身のやりたいことへの思いがめっぽう強く、いつも何かに挑戦している。そんな彼女を僭越ながら応援していきたいという気持ちも込め、ミエニアルに登場してもらうこととなった。
幼少期に本物を目にしたことで、画家の道へ
知良さんが絵を描き始めたのは、物心ついた頃からであるという。「褒めてもらったことが単純に嬉しく、もっと上手くなろうと思って」、ずっと続けてきたそうだ。絵を描くことは「なぜかわからないけど好きだった」とのことだが、美術館によく連れて行ってくれたという両親の影響もあるようだ。
なかでも、小学校の頃に家族で行ったイタリア旅行は大きな契機となった。ミラノ、ベネチア、ナポリ。それぞれの街の景色や教会、ショッピングモールなど全てを「素敵」と思ったそうだ。現地の有名な美術館にも行き、そこで数々の絵画や天井画など“本物”を目の当たりにしたことで「絵ってすごい!」とテンションが上がったことは今でも忘れられないという。そのときの経験から、知良さんは「画家になりたい」と思うようになった。
油絵と出会い、描き続けた学生時代
中学校ではあえて美術部に入らず、運動するためテニス部に入部。しかし、絵を描くことは個人的にずっと続けていたという。その後進学した高校の卒業生は美術大学に行く人が多いと聞いたこともあって美術部に入り、部長も務めた。
高校時代の部活で初めて油絵を描いたことがきっかけで油絵が好きになり、名古屋にある美術大学の洋画コースへ入学後も、ずっと油絵を中心に制作してきたそうだ。大学ではどんな生活を送っていたのだろうか?
「最初の2年はあまり刺激的ではなかったです。“こんなもんか”という感じでした。でも、後から考えてみたらそれは色々な人と交流してなかっただけで。後半の2年は色々な人や先生と話をして、グループ展などの活動もできてきました」。
人との交流によって刺激を受けるということ、制作し発表するという経験を積めたことが面白かったそうだ。また、イギリスへの短期留学や大学主催で行われたタイの大学との交流展、フランスへの卒業旅行などを通して外国の美術や文化にも多く触れることのできた大学生活だったよう。
美大卒業後も美術との縁をなくさないように
大学を卒業した後は地元に戻り事務職として働き始めた知良さん。当時を振り返りつつ話をしてくれた。「今思えば、卒業後を見据えた土台作りが弱かったなと。学生時代の活動を発展させるような人脈や場所作りの取り組みについて、あまり意識できていなかった。少しでも美術に携わったりセンスを磨けるような仕事に就くことで将来の肥やしにするという方法もあったと思いますが、当時はそれすらも分からなくて、“どうやって生きていくの?”と思っていました」。
大学の奨学金返済や貯金を優先して実家暮らしを選んだものの、なかなか三重での生活にも楽しみを見出せなかったという。もやもやした思いを抱えつつ、卒業後も大学に足を運んだり学生時代の友人に会ったりと、美術との縁をなくさないように必死だったそう。
また、意識していたわけではないが、「絵を続けている」ということを周りに話していたとのこと。そんな中で大学の先生から言われた「続ければライバルは減る」という言葉にはかなり勇気をもらったそうだ。
仕事と創作活動との両立に葛藤する日々
知良さんにとって創作活動とは、自己と向き合い、表現したいことの追及やインプットとアウトプットの繰り返しを行う孤独な作業だという。
絵を描いているときはどんな気持ち?という質問をしてみると、「いろんなことを考えています。作業しながら独り言を言うことも(笑)。自分の絵は日記みたいなもので、全部が絵に出る。だから描いた絵を見ると、“こんなことを考えていたのか”と思うこともあります」という答えが返ってきた。
働きながらの制作は、時間的にも精神的にも大変であろう。苦労や悩みを聞いてみると、「描くテンションが一定しているのが理想ですが、やっぱり日常や仕事に振り回されたりもする。“何があろうと描けやなあかん”とは思いますが……」と、日々の生活や仕事と創作活動の中で葛藤している様子が伝わってきた。本業と自分のやりたい活動とのバランスの難しさは、パラレルキャリアを実践している人の誰もが抱えている課題ではないだろうか。
仲間を見つけ、拠点となる場所ができた
働き始めた頃は仕事をするのに一生懸命で仲間がいないことにも悩んでいたそうだが、細々とでも地道に活動を続けていく内に、グループ展などを通して地元の若手作家たちと知り合った。同年代ということで自然と繋がっていった結果、5年ほど前から交流が盛んになっていったという。
インタビューが行われた「PORT」は、そんな知良さんと地元の若手作家たちが2016年9月から運営している共同アートスペースだ。絵画や陶芸、彫刻など専門分野を持つ30代の作家10人それぞれが自由に制作・作品発表を行う場となっているほか、毎週第4日曜日は“オープンデー”として一般にも開放している。オープンデーの日はワークショップが開催されるためその参加者は作家と一緒に作品を作ったり、気に入った作家の作品があれば購入したりすることも可能。
知良さんによると、「PORT」は「港」そしてそこからの「旅立ち」を意味しており、“様々な作家がこの港に停泊し、またどこかへと旅立つ場所となるように”との思いが込められているという。所在地である三重県津市の「津」には「港」という意味があることも、この名前にした理由の一つだそうだ。「仲間がいなければ、表現したいことを発信する意欲がいつの間にか欠けていっていたかもしれない」と知良さんは言う。モチベーションを維持するためにも、日々刺激を与え合える仲間がいることはとても重要なことであろう。
苦しさと楽しさとを抱えながらも続けるためには
「苦しいけど楽しいけど苦しい」。インタビューの中で聞かれたこの言葉が印象的だった。「“画家になりたい”って思わなかったら苦しくないのに、なんでわざわざ苦しい思いをしているんだろうと思うこともある」、そんな正直な思いも話してくれた知良さん。
しかし、その言葉の後には「自分にとって必要なことをしている、と思っています。これをしたいということはもう決まっているから、続けるにはどうするか?ということをいつも考えています」と前向きな言葉が続く。
今後も仕事と創作活動を両立させながら、いずれは創作活動だけに絞っていきたいという。「三重に帰ってきたことは自分の理想ではなかったけど」と前置きしつつも、自分のやりたいことを続け、仲間も見つけたことで「ここにいるから、ここでできることをやればいいんだと前向きに思えた。どこで何をしようと自分次第だと」と話してくれた知良さんにとって、三重県での活動は地元の美術向上への貢献も含めているという。
「少しでもライトな気持ちでアートに興味を抱いてくれたら、たくさんいる魅力的な若手作家の作品に巡り合えることにも繋がる。“画家”といっても一般的にイメージしにくいかもしれないけど、私にとっては美術作品をつくることが生きていく理由の一つであるということ」。
何をして生きていくか?理由を持っている人もいれば、その理由を探しながら生きている人も、その理由を探す以前に毎日を生きるだけで精一杯な人もいる。ただ、何か一つでも好きなことや追求したいことがある生き方は、人生を豊かにしてくれるのではないか。
“思いを持って、続けること”。知良さんはその大切さを教えてくれた。
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「PORT」 https://studio-port.jimdo.com
〒514-0004 三重県津市栄町1-888 四天王会館2F 201号室
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