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公務員がまちに飛び出したきっかけは、『打倒!山田崇』 ~岡崎市『ここdeやるZone』インタビュー(前編)~

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「江戸時代には、この地域まで岡崎城内で、今でも堀の名残が見られるんだよ」

古地図などの資料を手に岡崎市の町並みを案内する地元の近藤浩二さん。

愛知県岡崎市のまち歩きイベントに参加した大学生ら10人が興味深そうに聞き入っていました。近藤浩二さんの話は、徳川家康生誕の地である岡崎城や、家康公の父・松平広忠公の墓のある松應寺、岡崎信用金庫資料館などの史跡はもちろん、商店街の店舗の変遷、自分の行きつけの居酒屋の話まで、まさに地元住民ならでは。

まち歩きイベントで岡崎市の町並みを案内する地元の近藤浩二さん

岡崎市に縁もゆかりもない私には、失礼ながら一見何の変哲もなかった道路や町並みに、深い歴史やそこに住む人々の生活を身近に感じられ、ただの観光では得られない『ここに住む』感覚すら覚えました。

岡崎市在住10年以上だという田中義人さんでも「知らないことばかりで面白い」と本当に楽しそうに話していました。

このまち歩きイベントを主催したのが今回、インタビューをさせていただく岡崎市空き店舗撲滅運動『ここdeやるZone』(通称『ここやる』)です。

 

2人の若手公務員が創った、まちの交流の場『ここやる』

代表・晝田浩一郎(ひるた こういちろう)さん、副代表・中川光(なかがわ ひかる)さん、マネージャー・小川貴之(おがわ たかゆき)さん、家老・野澤成裕(のざわ なりひろ)さんの4人は、全員岡崎市職員として勤務する傍ら、岡崎市役所西方の中心市街地である康生(こうせい)地区に拠点を構え、プライベートの時間に行う業務外の活動、つまり”2枚目の名刺”として『ここやる』を運営しています。

公務員や、まちの人たちの垣根を越えた交流の場である『ここやる』では、運営スタッフだけでなく、市民の誰もが主催者としてイベントを開催することができ、そのために必要な協力者や情報なども集めることができます。前出の田中義人さんも、『ここやる』がきっかけで岡崎公園でジャズの生演奏を聴きながら天体観測を楽しめるイベント『ほしおと』を主催。イベント開催などは未経験でしたが、企画案を『ここやる』に持ち込んだところ、開催場所や、ジャズ演奏家などの情報に結びつき実現に至ったそうです。

『ここやる』がきっかけとなったイベント『ほしおと』

『ここやる』発のイベントは、食べ物を持ち寄って一緒に食べるというものから、シアトル発の起業家精神を育てるセミナーなど多岐にわたり、2016年1月の設立から3年で総数580件、参加人数のべ5,529人に上ります。

『ここやる』は当時まだ20代だった晝田さんと中川さんが発案し、先輩である小川さん、野澤さんが呼応する形で参画しました。残念ながら野澤さんには今回お話をお伺いすることはできませんでしたが、これまで直面した困難やその克服方法、やりがい、また全国の同世代の若手職員に向けたメッセージなどについて、代表の晝田さんと中川さん、小川さんにインタビューしました。

 

 

『どうせ、やんないんでしょ』……きっかけは、悔しさと羨ましさ

山中

まずは2枚目の名刺として、『ここやる』を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか

元々僕は最初に就職した民間企業が合わなくて、9時17時で帰れるっていうのを希望して公務員になったタイプでした。仕事外の活動は、月1で一般社団法人地域問題研究所が名古屋で開いている勉強会に行くくらいだったんです。

晝田
山中

そうだったんですね。9時17時で帰れるというのを希望していたというのは意外というか……。

でもそこで知り合った友人に誘われて、2015年8月に塩尻市の山田崇さんが主催している空き家プロジェクト『nanoda』を、当時1年目だった中川も連れて見に行きました。当時僕は4年目で商工労政課で中小企業支援みたいなことをやっていたんですけど、山田さんのことも『nanoda』も知らなくて、ただ旅行感覚で行ったんです(笑)。

晝田

 

晝田:山田さんの講演を聞いた後、ワインの蔵とかまちを見学して、午後5時ごろから山田さんや塩尻の方たちと一緒にお酒を飲んでいたんですけど、午前2時くらいに山田さんから

「講演にも呼んでくれるし、視察も来てくれるんだけどね。やろうと思えばできるのに誰もやらないんだよね。お前らもどうせやんないんでしょ

って言われて…これがまた図星だったので滅茶苦茶悔しくて、むかついたっていうのがきっかけ。既にべろべろに酔っ払っていたけれど、中川と「これはやるしかない、絶対にあの鼻を折ってやる」ってそのまま午前4時くらいまで話し合って、今後やるべきことを大まかに決めました。

山中:地域振興としては、他にも色々と方法があると思いますが、空き店舗対策に取り組むことにしたのはやはり山田さんの影響が大きいのでしょうか?

晝田:そうですね。やはり山田さんが既にやられていたというのが大きいと思います。空き店舗対策って数ある地域振興の中の、いち手段だと思うんです。正直、音楽イベントをいっぱい主催するのでも最初の入り口は何でもよかった。

でも同じ公務員で、地域振興という同じフィールドに立っている山田さんに厳しいことを言われて、『じゃあ同じことをやってやる!』となったんです。

それと『nanoda』で飲んでいるときに、ふらっと地元の方が「どこから来たん?」と話しかけてくれて、「うちにいいワインがあるから一緒に飲もうよ」って、本当に塩尻名産のワインを持ってきてくれたんです。山田さんとまちを歩いていたら、まちの人とすれ違うたびに『どうも』って声を掛け合っていましたし、僕自身が田舎出身ということもあり、まちに溶け込んで、まちに受け入れられている空気感が羨ましいなと感じたことも根底にあります。

 

『ここでやるzone』代表の晝田さん

 

山中:そのあと、岡崎市に帰ってから、『ここやる』設立の準備を進めていく中で小川さんと野澤さんが運営メンバーとして合流するわけですが、協力者の募集はどのように行ったのですか?

晝田:まず『塩尻市の山田さんっていうスーパー公務員がやってるすごい話を聞いてきた』っていう報告会をやったんです。

当時、僕がいた商工労政課には課長以下20人くらい職員がいたんですが、僕らを除くと3人しか来てくれなかったんです。

でもそこで空き店舗活用を『やりたいと思ってます』ではなくて、『やります。仲間を募集してます』って宣言しました。何も決まってないのに(笑)。で、小川さんと野澤さんが、たまたまリノベーションまちづくりの担当で、プライベートでもやりたいって申し出てくれました。

あと現在『漢気』という形で資金を援助してくださっている協力者が40人くらいいます。商工労政課って庁内のいろんな部署とつながりがあって、知り合いみんなにこれからやることを説明したら結構みんな『わかったわかった、応援するよ』と言ってくれたんです。で、実際空き店舗を借りるってなった時に『あの時応援してくれるって言ってくれましたよね?』って歩き回ってどんどん協力者を増やしていきました。

 

まちづくりから、後に続く人のために前例をつくる

山中:協力者を募るために、かなり活動的に庁内を回られたんですね。批判や反発はありませんでしたか?

晝田:たくさんありましたよ。本業をちゃんとやれとか、市民に癒着があると思われるとか、生意気なお前が何なんだとか。今でも『単なる晝田のPR活動でしょ』とか言われたりします。

でも空き店舗を借りる契約の、印鑑を押すだけっていう段階で、当時の上司である神尾典彦商工労政課長にプレスリリースを出しますって報告をしたら、『わかった』って言ってくださって。2日後くらいには『市長や副市長に何をやろうとしているのか、お前らが話せ』って市長以下、人事課や秘書課の偉い方々に連れて歩いてくれたんです。

皆『おもしろいやんか、がんばれ』って言ってもらえて、庁内でも応援してくれる人も増えましたし、人事課も上を押さえているからないがしろにできない。

ただこれは推察ですが、神尾課長が根回しして下さっていたと思うんです。ここでもし上司に反対されても、『え?プライベートに口出すんですか?』って突っぱねるつもりでした。公務員なんでクビにはならず、左遷させられるだけですし。

でもそうすると何かしら軋轢が残っていたはずでしたが、神尾課長がいてくれたおかげで庁内がスムーズになった。わかってくれる中間管理職の偉大さはすごく感じました。

山中:理解のある上司に恵まれたわけですね。制度的に岡崎市には副業を支援、または規制するような特別な取り決めやガイドライン等はありますか?

晝田:岡崎市は今のところ副業をがんがんやっていこうという自治体ではないので、ガイドラインのようなものは特にないですね。講演での謝金とか執筆活動など単発の業ではないものならオッケーという規定のようなものはあります。

そもそも僕らは『ここやる』を副業とはとらえていなくて、あくまでもプライベートと言い切ってます。庁内にある野球部とかサッカー部と同じ。グラウンドを借りるかわりに、僕らは空き店舗を借りてるというロジック。営利活動はやってないし、必要な許可は随時人事課と相談してやってます。

前例がないので人事課も困っているみたいですが、僕らは公務員のパラレルキャリアを推進していきたいし、していかないと駄目になると考えています。外部の人の考え方に触れたり、協働したり、もっと言えばその人がお金をどのように稼いでいて、その中から納税していただいているのかを知るために、職員が稼いでもいいというのが必ず重要になってくると思うんです。

後に続く人たちのためにも、そういった事例を人事課と協力して作っていければいいと考えています。

山中:晝田さんたちが、まちに出て行く、2枚目の名刺を推進していくということが、人事課にとっても事例として蓄積できて良いという側面もあるわけですね。

晝田:そうですね。そういう側面があると思っています。

当たり前のことをしっかりやって信頼関係を築く

山中:では、実際に空き店舗を借りてまちに出て行く段階の経緯を教えていただけますか?

晝田:この康生地区は岡崎市のメイン通りで家賃が高く、何かを始めたい人にとってはハードルが高いところなので、小川さんと野澤さんの本業のリノベーションまちづくりの対象から外れた地域。僕らがそういう地域に入って活性化することで、本業との相乗効果を期待したんです。9月に塩尻に行ってから空き店舗を借りる契約をしたのが12月。これだけスピード感よくいけたのは、とにかく運がよかったから。決して本業を利用したとかではないんですよ。悪い意味で公私混同になってしまう(笑)。

『ここやる』の隣にあるバーで、マスターに僕と中川が「僕ら公務員なんですが、まちに拠点を持ってまちを盛り上げる活動がしたいんです。隣の物件を借りたいんですが何か情報ないですか」って話していたところ、たまたま店にいたまちの重鎮、小野修平さんが「めっちゃおもろいやんか、オーナーと知り合いやから連絡したるわ」って言ってくれたんです。そこからはとんとん拍子に進みました。

山中:たまたま出会えた人との繋がりが、実際の活動への第一歩を踏み出す鍵になったわけですね。まちの方々と接する上で困難なことはありましたか?

晝田:元々このあたりは家康の生まれた城下町で、地場の力が強いんです。昔からNPOとかでまちづくりに参加する方が多くて、『公務員が遊び半分にやられては困る』、『遊び半分で何ができるんだ』とか厳しい言葉もいただきました。でも『お前らのまちづくりは間違っているから俺らがやってやるよ』では決してなくて、『一緒になってやっていきたいんです』ということを丁寧に説明することに気を使いました

例えば、まちの方々がやる餅つき大会とかイベントごとには必ず参加して、『今度こういうことをやりますので、よろしくお願いします』って説明するとか、重鎮の方々のランチ会に出席するとか。

何を言うかよりも、どれだけ会うかが大事。

顔なじみになれば、めっちゃ応援してもらえるんです。庁内ではどれだけ嫌われてもいいんですが、まちの方々から嫌われたら即終了。そうなる前に、会ったら必ず挨拶するとか、何かしてもらったら丁寧に御礼を言うだとか、人として当たり前のことをしっかりやって信頼関係を築くようにしていました。事務所の目の前でサンマを焼いたりするイベントもやったんですが、信頼関係がなければそこで終わりだったと思います(笑)。

 

後編につづく

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山中 崇志
ライター
「憧れ」だけで就職した新聞社を辞め、約2年間の無職期間を経て厚生労働省に勤務。転職活動で苦戦し、悩みぬいたことで「働くとは何か」がライフテーマとなった。2児の父として育児に奮闘するとともに、公務員という枠を超え活動の幅を広げる方法を日々模索し続けている。
島田正樹
編集者
さいたま市役所に勤めながら、NPO法人二枚目の名刺「2枚目の名刺webマガジン」の編集者として活動。その他、地域コミュニティづくりの活動や、公務員のキャリアに関する活動などにも取り組む“公務員ポートフォリオワーカー”。『仕事の楽しさは自分でつくる! 公務員の働き方デザイン』(学陽書房)著者。ブログで日々情報発信中。https://note.com/shimada10708 https://magazine.nimaime.or.jp/shimadamasaki_interview/
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