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古賀千尋さん(写真家×ラグビーコーチ)×野澤武史「2020東京に向かうラグビーコーチの“半端ない”ストーリー」
【今月の二枚目ラグビー人】
古賀千尋(こがちひろ)氏
現日本体育大学ラグビー部女子ヘッドコーチ兼フォトグラファー。現役時代はラグビー女子日本代表。指導者としてラグビーの現場に復帰してからは、結婚式等の写真撮影を継続しながら後輩の育成にあたる。来年度より同部でフルタイムコーチに就任予定。
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第2回は、写真家として活動しながら、日本体育大学ラグビー部女子・ヘッドコーチを務める古賀千尋さんに話を伺った。現役時代に日本代表として参加したアメリカ遠征が海外進出のきっかけとなり、以後、中東をはじめ世界各国でドキュメンタリーを撮り続けた。楕円球の引力によってコーチとしてラグビー界に復帰した古賀さんにとって“2枚目の名刺”とは何か――。現在、関東女子ラグビーのコーチング現場で共に指導にあたる野澤武史が、そのインサイドストーリーを聞いた。
2枚の名刺と5つの肩書きで活動
野澤:古賀さんの1枚目の名刺と2枚目の名刺について教えて頂けますか?
古賀:1枚目の名刺はフォトグラファーです。写真家というと“大先生”のようになってしまうので……と言いつつ名刺に書いちゃっていますけど(笑)。2枚目では、日本体育大学(=以下、日体大)ラグビー部女子ヘッドコーチをしています。その他に、関東ラグビーフットボール協会女子委員会委員、日本協会女子委員会委員、アジアラグビーフットボール理事代理という肩書きも持っています。
野澤:すごい! 5枚も名刺を持っているんですね(笑)。
古賀:実際に名刺を持っているのは2枚目までです(笑)。
野澤:フォトグラファーのお仕事では、どのような写真を撮っているんですか?
古賀:現在は、結婚式や子ども、犬などを撮ることをメインに活動しています。
野澤:古賀さんにとっては、それが本業なわけですね。
古賀:去年まででしたら確実にフォトグラファーが本業でしたが、フルタイムでラグビーに携わろうと思い、大学と交渉中なので、来年には逆転しているかもしれません。
写真の勉強とラグビーを両立させた学生時代
野澤:古賀さんが2枚の名刺を持って活動される原点は、どこにあるんですか?
古賀:高校を出るときに写真が学べる学校に進学するか、日体大に進学するかで迷っていて、結局日体大を選んだのですが、大学に行きながら写真の学校にも通っていました。大学でもラグビー部と写真部の両方に所属していたんですよ。
野澤:へえ~!
古賀:秩父宮に写真を撮らせてもらいに行ったこともあります。大学卒業後も、写真の勉強とラグビーを続けたいという思いを叶えるべく、アメリカに渡りました。
遠征で大敗したことが、渡米するきっかけに
野澤:アメリカでもラグビーは現役だったんですか?
古賀:はい。実は渡米する1年前に日本代表として遠征に連れて行ってもらったときに大負けして。そのときの対戦チームでラグビーがしたいと思い、アメリカに渡ったんです。写真はカリフォルニア州立大学ヘイワード(現イーストベイ)校で学びました。語学学校に1年、大学に3年通い、新聞社のフォトグラファーを1年して帰ってきたので、丸5年アメリカで生活したことになります。
野澤:他に類を見ない経歴ですね!
古賀: そうかもしれませんね。アメリカの大学を卒業すると、1年間働けるビザがおりるので、Palo Alto Weeklyでインターンフォトグラファーをした後、Palo Alto Daily Newsでフリーランスフォトグラファーとして1年間雇われていました。山火事やスポーツ取材、ホームレスのドキュメンタリー、有名人のお葬式や銃殺事件現場など、様々な現場を経験させてもらいました。
息抜きだったラグビーに、指導者として関わるまで
野澤:帰国後は何がきっかけでラグビーをすることになったのですか?
古賀:日体大の同期でリオ五輪女子セブンズヘッドコーチである浅見敬子さんに「一緒にラグビーやろうよ」と誘って頂きました。このあたりまでは、ラグビーが息抜きになっていましたね……(笑)。
野澤:そこから日体大のコーチという指導者の立場になるまでに、どんなことがあったのですか?
古賀:当時所属していたフェニックスと日体大が合同チームになったことが、卒業後に日体大と接点を持つきっかけです。
野澤:それは選手として? それともコーチとして?
古賀:合同チームの頃は選手として。面白いから見に行く、となってからはコーチだと思います。
野澤:実際に「コーチ」という肩書きがついたのはいつですか?
古賀:正式にコーチになったのは2010年から。ヘッドコーチという肩書きがついたのは去年です。それまでは週3日コーチングに行っていたのですが、今は週に6日行くようにしています。
野澤:ということは、既に1枚目の名刺はコーチにシフトしているんですね。
古賀:そうなりますね(笑)。
「撮りたい」写真を撮るために、「生きるため」の写真も撮る
野澤:インタビューに先立ち、古賀さんのことをインターネットで検索したら、中東の女性がスカーフを被ってラグビーをやっている写真を見つけました。
古賀:2008年にイランで撮った写真ですね。イランにはラグビーコーチ兼カメラマンとして行きました。もともとはイランの女子ラグビーのストーリーを撮りたかったんです。ただ、それだとビザが下りなかったので、じゃあ別の方法でビザを取ろうと思い、ラグビーコーチとして行くことにしました。ちょうどイランがリオに向けて女子ラグビーを立ち上げたところだったんです。
野澤:コーチとして手を挙げることで、目的が果たせたんですね。
古賀:いいえ。写真を撮りながらコーチングをしていたので、どっちも中途半端になっちゃって……。最悪のパターンでしたね(笑)。
野澤:フリーのフォトグラファーとしては、はじめから結婚式などを撮られていたのですか?
古賀:いえ、最初は戦場を撮っていました。
野澤:戦場を撮っていたのはイラン行く前のことですか?
古賀:はい。アメリカで学生をしていた2002年に初めてパレスチナに行き、2004年にアメリカから帰国してすぐにテレビ局の委託業務でイラクに行きました。橋田信介さん(戦場ジャーナリスト)が亡くなった二週間後くらいのことです。戦争が始まって2年、壮絶な現場でした。
野澤:戦場から結婚式まで。写真家としての仕事は、だいぶ振れ幅が大きいですよね。
古賀:加えて2004年から2007年の間は、長居公園(大阪市東住吉区)のテント村でホームレスの取材をしていました。平日はホームレスの方々と同じようにテントに住んで、週末は東京の自宅に戻って結婚式を撮り、また大阪に行ってテントで暮らす、といった生活でした。
野澤:ギャップがすごい! 長居に住み、パレスチナにも行き、結婚式も撮る。
古賀:稼ぎがなかったので、英会話も教えていました。
野澤:この頃の古賀さんにとって、2枚目の名刺である結婚式のカメラマンとしての仕事は、「食べる」というか「生きる」ためのものだったのですか?
古賀:はい。地を這うようにして生きていましたから(笑)。
(フォトグラファーとしての仕事の数々:古賀さん提供)
撮りたかった「世の不条理」は常に命と隣り合わせ
野澤:パレスチナや長居で暮らす人々が、古賀さんの“撮りたいもの”だったのですか?
古賀:そうですね。もともとカメラマンになりたいと思った理由がそこにあったので。逆に言えば写真は道具でしかなかったんです。ただ、「世の不条理」に足を踏み込むと、“昨日仲良くしていた人たちが今日いない”ということが起こる。亡くなっちゃうんですよ、親しい人たちが。それで、途中で写真を撮り続けるのが難しくなっちゃいました。向き合えなくなってしまったんです。それがラグビーにまた軸を移した転換点なのかな……。
野澤:なるほど。つらい経験をされたんですね。
古賀:私は撮る前に、被写体の生活の中に入り込んで親しくなるので、関係がある程度できちゃう。そんな人たちが亡くなるのは、やっぱり耐え難いですよね。
野澤:先ほど「世の不条理」という言葉がありました。なぜ、それを撮りたいと思ったのですか?
古賀:うーん……。もともと世界情勢には興味があって、代表の合宿中も新聞や本は欠かさず読んでいました。
野澤:ラグビーを始めてから興味を抱くようになったんですか?
古賀:世界との接点は高校までは一切なかったので、それはあるかもしれないですね。世界に連れて行ってくれたのはラグビーですから。
野澤:なるほど。
古賀:アメリカで師事した、マスコミやジャーナリズムを専門にしている黒人の教授の影響もすごく大きいです。2002年にパレスチナに行ったのは、間違いなく2001年の9.11の影響。
野澤:戦場に行かれた古賀さんからすると、ラグビーでの負傷なんてへっちゃらですよね。そのくらいで怪我っていうな! マメができたくらいで休むって言うなよ!って思っちゃいそう(笑)。
古賀:マメができたくらいで休んじゃダメ!(笑)。
今は2020年に向けてラグビーに本気で向き合う時期
野澤:今後、フルタイムでコーチをしていくということですが、写真はどうするのですか?
古賀:ラグビーを辞めたら、またやろうかな……。2020年まではとにかくラグビーを頑張らないと! 女子ラグビーは2020年の東京オリンピックで今後が決まると思います。それ以降に残せるものを作っていかないと……。
野澤:具体的に残すもののイメージはあるのですか?
古賀:女子ラグビーも強化の方は道筋ができてきているので、課題は育成だと思います。あとは、普及ですね。そのシステムが必要です。
野澤:古賀さんがそれほどまでに指導者としてラグビーに本気で向き合おうと思うきっかけはあったんですか?
古賀:去年の太陽生命ウィメンズセブンズシリーズです。2日間の大会のうち、仕事で1日行けなかったんです。そこで、高校生に負けてしまったんですよ。これはもう腰据えてやらないといけないな、片手間では無理だなと感じました。あとは、東京オリンピックの主要選手になりそうな1年生が、日体大にどっと入ってきたからということもあります。
野澤:確かに、今の日体大には優秀な選手が揃っていますよね。
古賀:今の状況って、「他の強豪チームにはプロのスタッフが10人以上もいるのに、こちらの指導者は、平日はパートのおばちゃん一人。それなのに優秀な選手がたくさん入って来ちゃった」という感じ(笑)。これはもう、日体大だけの問題だけでなく女子ラグビー界全体の問題なので、本気でやらないとまずいと思っています。
野澤:それで、組織づくりをしっかりやろうという意識が生まれたんだ?
古賀:はい。女子ラグビー界の仕組みに関する問題が見えてきたので、協会の仕事も引き受けることにしたら、どっぷりと浸かることになったわけです(笑)。
組織を整え、より多くの選手に機会を与えたい
野澤:先ほど、「日体大だけの問題じゃない」と責任を感じたと仰っていましたが、そう考えられない人もいると思うんです。いい選手がたくさん来て「こりゃ、勝てるぞ!」くらいで終わる人が大半でしょう。そこで、使命感が沸いたというのが、古賀さんが他の人と違うところですよ。
古賀:仕方がないですよね、来ちゃったんだから(笑)。
野澤:それで自分の人生の方向性を変えられる強さ、すごいと思います。
古賀:追い込まれましたからね。
野澤:今、女子ラグビー界には追い風が吹いていますよね。
古賀:はい。競技人口も増えました。ただ、大会の増加に伴い怪我人も多く出てしまっていて……。
野澤:そうした弊害をなくしていきたいとも考えているんですか?
古賀:はい。まずは、大会のカレンダーを整理したいですね。
野澤:女子のカレンダーはどうなっているんですか?
古賀:成人は、代表活動の影響で変動はありますが、大まかには「春は7人制、夏以降は15人制」と考えてください。現在女子ラグビーが抱えている問題点としては、一部の層の選手がありとあらゆる大会に一年中出場し続けて、過密スケジュールにより怪我のリスクが高まってしまっていることがあると思います。一方で、まだまだこれからという選手層の試合の機会が非常に少ない。経験できる試合数が偏っているので、それは何とかしたいですね。例えば、メジャーな7人制の大会には出場できないチーム向けに下部リーグを作るとか、高校生の指導システムを構築して、育成すべき層にもしっかりと目を向けられる仕組みを作るとか。女子ラグビー全体の底上げをしたいと考えています。あくまでも、まだ個人的な考えですが……。
野澤:なるほど。無理に紐づけているわけではありませんが、古賀さんの中で、写真とラグビーへの対峙の仕方は、根底では同じなのではないかと思いました。「光が当たっていない場所に目を向ける」というのは万人にできることではないですよ。古賀さんから出てきた「不条理」という言葉、僕は37年間生きてきて一回も使ったことないですもん(笑)。
古賀:そうしないと、女子ラグビーの人口そのものが減ってしまう。せっかく始めてくれたのに。今、女子ラグビー界はバブルなんです!
野澤:何かに取り組むときの入口は好奇心だと思うんですけど、それだけじゃどうしようもない部分というのがきっとある。名付けるなら古賀さんは「背負い人」。
古賀:おそらく、そうやって忙しくしているのが好きなんですよ。結局好きだからやっている。私、好きじゃないことは全部辞めちゃうので。
野澤:第1回のインタビューで渡瀬さん(現ジャパンエスアール代理CEO)がおっしゃっていた「自分でなくてもいいでしょってことは辞める」という言葉に通ずるものがありますね。
古賀:その言葉、よく分かります。
野澤:フルタイムでラグビーに関わると決めたのも、自分でないとできないと考えたからですか?
古賀:自分でないとできない、というよりは、“今やっていることをちゃんとやり切りたい”んです。
野澤:使命感ですね。
古賀:中途半端は嫌なんです。
野澤:中途半端が嫌だと“半端ない”ことになっちゃうんだ(笑)。パレスチナ行って、長居公園のテントに住んで……。すごいなあ。半端ないって、中途半端がないってことなんですね。今、気づきました(笑)。本日はありがとうございました。
古賀:恐縮です!(笑)
【取材後記】
いつもグラウンドで会う古賀さんに、こんなインサイドストーリーがあったなんて! ジャージ姿の古賀さんからは全く想像できませんでした。ラグビーでも写真でも、古賀さんの「覚悟の決め方」には圧倒的な迫力があります。男が惚れる女性ですね。またコーチング現場でご一緒するのが楽しみです! 閃光のまなざしで見ちゃかも!?(笑)。
(インタビュー後に練習会でお会いした古賀さんと。すっかり閃光のまなざしです…!)
ライター
編集者
カメラマン
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