TOP > 関西のプロジェクトデザイナー・ゆきえさんに聞いてみた!(前編) 〜2枚目の名刺を持つってどんな感覚?〜

関西のプロジェクトデザイナー・ゆきえさんに聞いてみた!(前編) 〜2枚目の名刺を持つってどんな感覚?〜

このエントリーをはてなブックマークに追加
NPO法人 二枚目の名刺には関西で活動する4名のメンバーがいます。プロジェクトデザイナーとして活躍する佐藤由紀江さん(以降、ゆきえさん)もその一人。本記事は、2回にわたり、ゆきえさんに徹底インタビュー。プロジェクトデザイナーになるまで、二枚目の名刺での活動の様子に迫ります!

異業種の仲間との出会いから、パラレルワークを知る

宮内(以下、宮):ゆきえさんは本業でどのようなことをされているのでしょうか?

ゆきえさん(以下、ゆ):本業は外資系製薬会社でマネージャー職に就いています。
臨床試験の実施や、新薬を国内で使えるようにするため、臨床試験の実施や許認可の調整などを行っています。
5年ほど前に、社会人MBAスクールに通っていたことから「社会人大学院の学生です」と示すため “2枚目”の名刺を持ったのですが、これが初めて本業以外での活動の始まりでした。MBAスクール時代は、平日夜と土曜日に授業を受けて、その他空いた時間でプロジェクトワークの宿題を進めるという生活をしていました。

宮:おおお、それはハードな生活…。

ゆ:はい、ちょっとハードでした(笑)
MBAは1年半のプログラムだったのですが、この時が私にとっては初めて異業種の方々と授業やプロジェクトに取り組む経験となりました。社外で異業種のメンバーと活動することの楽しさに目覚めたのはMBAでのワークがきっかけでしたね。

宮:NPO法人 二枚目の名刺と出会う前から、ゆきえさん自身がまさに2枚目の名刺を持って活動をされていたのですね。
ではどのようなことがきっかけでNPO二枚目の名刺と出会うことになるのでしょうか?

ゆ:MBAの2期目では、自分たちで経営課題解決プロジェクトの課題の設定から取り組みます。その時集まったチームメンバーの一人が提案した「パラレルワーク」について取り組むこととなりました。当時はまだパラレルワークやパラレルキャリアについて話題が少なく、私自身も知らないことが多かったので、まずはパラレルワークに関する事例研究を行うことになりました。
そこでいくつかの団体に取材依頼をし、伺った団体のひとつがNPO法人 二枚目の名刺だったんです。

宮:偶然なのか、必然なのか、なんだか面白いきっかけですね。
その時をきっかけに団体に所属をされたということでしょうか?

ゆ:実はそうでもなくて、ここから空白の4年があるんです(笑)
二枚目の名刺に興味は持っていました。しかし当時は活動に関わる場合、東京がメインの場だったので物理的に難しく、そのときは「あー、縁がなかったんだなー」ぐらいの感じで思ってそのままでした。

MBA卒業の活動ロスと、パラレルワークへの挑戦

(社会人MBAのビジネススクール・ケースコンペティション(JBCC)での1枚。)

宮:空白の4年が気になりますね(笑)
1年半のMBAを終えられた後は何かパラレルワークの活動などされていたのでしょうか?

ゆ:それが、そうでもなく(笑)
MBAに通っていた1年半は、本業の傍らで平日・土曜の授業や課題、修士論文など、詰め込むだけ詰め込んだハードな日々を送っていたんですね。本業との両立やMBAにかなりの熱量をかけていたので、いざ卒業したらポッカリ穴が空いてしまったんです。

宮:燃え尽きてしまったんですね。相当に駆け回られていて、きっとギャップも大きかったことと思います。

ゆ:そうなんです。「…あれ?これから何しよう?」って。本業に集中したらいいんですけど、詰め込んでいた生活に慣れてしまうと、本業だけじゃ物足りない!となってしまいまして(笑)
次はファシリテーションの資格習得をしようと勉強することにしました。

宮:留まらない!キャパが広い!

ゆ:というのも、MBA時代に優秀だなぁと思っていた周りのメンバーから、「佐藤さんはビジョンや目的を見える化して、メンバーの合意形成を図ることがとても上手い」「説明がわかりやすく、ファシリテーションが上手だ」など嬉しい評価を頂いていたんですね。
本業では合意形成を行うのが通常なので、特別なことだと感じていませんでしたが、そのフィードバックで「あ、私のスキルは外で強みになるんだ」と気づき、それで勉強を始めました。

ある時久しぶりに再会したMBAのメンバーに報告したんですよね。「今、勉強しているよ!」って。そしたら、「え?もうスキルは十分なのに何を勉強するの?もっとアウトプットしていくのがいいんじゃないの?」って言われて、ついつい自分が好きなインプットに没頭していたなぁと思ったんです。
その時のメンバーの一人に、本業、MBAの勉強に加え、認定NPO法人Living in Peaceの理事として活動していた方がいたのがきっかけで、現場をお手伝いする程度に関わってみることにしたんです。

宮:そこをアウトプットの場にしたということですね。
では空白の4年というのは、Living in Peaceの活動をされていたんですか?

ゆ:はい、今も続けています。
Living in Peaceは子ども支援を活動の柱のひとつにおくの団体なのですが、運営方針がNPO職員を持たず、スタッフ全員が本業を持ちながらパラレルで活動するというものでした。MBAでパラレルワークの研究をした私にとっても共鳴するものがあったというか。
この団体が取り組んでいる社会課題に対して、最初は自分がどこまで向き合えるのか自問自答をしていたのですが、現場で問題に触れることで非常に共感ができたんです。そんな点から、Living in Peaceの活動は続けることにしました。

ハッキリと意識した、自分の使命

宮:では今は、Living in Peaceは続けておられて、さらに二枚目の名刺の活動も平行して活動されているということですよね。
一旦は縁がなかったと思われたNPO法人 二枚目の名刺とは、どのように再会したのですか?

ゆ:これが本当に偶然なんですが、昨年(2019年)に、二枚目の名刺のメンバー募集を見つけたんです。いつも情報をチェックしていたというわけでもなくて、しかも超短期間だけの掲載だったと思います。

宮:なんだかんだで縁を感じる話ですね〜。
確か前回は東京ということで一度あきらめ辞められていましたね。今度は関西メンバーの募集だったのでしょうか?

ゆ:特に活動場所は限定されていませんでした。東京というわけでもなくて。社会人メンバーをまとめるプロジェクトデザイナーを募集しているということで、二枚目の名刺でサポートプロジェクトを経験している人が望ましいという条件だったのは記憶しています。
二枚目の名刺での経験はありませんでしたが、「あ、これは私の強みを活かせる内容だ。とりあえず募集してみよ〜」と、ポチっとボタン押してみました(笑)

宮:わぁ、すごっ!即決ですね(笑)
1回目に二枚目の名刺の募集を見つけたときと違い、即決をされたというのは、やはりMBAやLiving in Peaceの活動を経たことが大きかったですか?

 

(関西SPJデザイナー立上げメンバーとの1枚)

ゆ:そうですね。
私自身も、社会人MBAやLiving in Peace、2枚目の名刺をそれぞれ持ってみた経験から、本業とは別で社会貢献をすることの魅力を実感していたので、2枚目の名刺を持つ人がもっと増えたらいいなと考えていました。本業とは別に何かを始めたいと思っても、多くの方がはじめは一歩を踏み出すスイッチを押せないと思うので、私がこれを押す役目だなと思ったんです。

東京との距離については、当時から本業で海外とのテレワークに慣れていましたし、何なら一人でも2枚目の名刺を持つ人を増やすために活動しようと考えることもありました。
そんな中の募集だったので、「社会貢献への行動に移せる一歩踏み出す時の背中を押すのは、私だ!私じゃなけりゃ誰がやる!これはもうやるしかないでしょう!」みたいに漠然たる自信を持っていました(笑)

宮:迷いがない!
これまでは、取り組む活動が点在していたけれど、ここにきて一気に繋がった感じがしますね。きっといつも社会貢献へ意識を向けていたからこそ、タイミングも逃さずにつかみ取れたのかもしれませんね。

ゆ:確かにそうかもしれません。
MBAとLiving in Peaceの経験ができたことはかなり大きかったなと思います。さらに、このときの募集ではタイミングが良いことに関西圏の人員が複数名集まったため、「じゃあ関西チームを作ろう!」という動きにもなりました。

2枚目の名刺を持つことは「大人の部活」に近いかもしれない

(2019年関西SPJプロジェクト合同打ち上げの様子。ホームレス支援を行う認定NPO法人Homedoorを担当。プロジェクト報告書はこちら。)

宮:二枚目の名刺の募集時は、タイミングから活動内容から関西メンバーから、一気に歯車が噛み合いましたね!(そんなことあるんだなぁ…)
先ほど2枚目の名刺を持つ人が増えたらいいなと仰られましたね。ゆきえさん自身、実際に2枚目、3枚目と、複数の名刺を持ってよかったと思った点は何でしたか?

ゆ:実は私には“暗黒時代”がありまして…。

宮:と、言いますと?

ゆ:今小学6年生の息子がいますが、MBAに入る前、息子が保育園児でした。主人が単身赴任のため、当時は本業と並行してワンオペ育児を行っていました。もう、毎日がヘトヘトすぎて、外に出たくても出られない。
ずっと「あぁ〜〜〜新しい空気が吸いたい!」と思っていました。

宮:本業も外資系ということで仕事時間の時差等もあるでしょうに、相当なご苦労があったと察します。

ゆ:MBAはいつか絶対やりたいと思っていたことだったんです。
本業のプロジェクトマネージャーという仕事に直結することで、きちんと体系的に学びたいなと。だけどそれどころじゃなくて日々が過ぎていました。そんな時、異動があり、自分の仕事量を調整しやすい部署になったので、「あぁ!もうこれは絶対MBA行く!」と、異動後すぐにMBAの願書を書いて応募したのを覚えています(笑)

宮:ここでも即決!(笑)

ゆ:当時は主人の赴任転勤先が名古屋で、週末に帰ってきやすい時でした。「これはもう今しかない!」という感じで(笑)
今は金沢なので…、もしも当時タイミングを逃していたら、MBAも、NPO活動もすべて状況は変わっていただろうなと思います。

踏み出したら、もう楽しくて楽しくて! もちろん、日常生活や本業とのバランスもあって大変だったんですが、何より自分が「やりたい!」と思ってやっていることなので、楽しくて仕方なかったです。共通の興味をもった人たちとどんどんつながる「大人の部活」みたいで、働き始めてから初めての感覚でした。「こんなに楽しいことはない!この先、ライフワークにしていこう」と、この時思いました。

宮:それが初めての「2枚目の名刺」を持った感覚だったのですね。確かに、自分が好きだから取り組むのとやらされてやるのでは、楽しさやモチベーションは全然違ってきますね。

ゆ:MBAも、Living in Peaceも、二枚目の名刺も、私にとっては全て部活です。好きだからやっている、という感覚で今も楽しく続けています。

 

>後編はこちら

関西のプロジェクトデザイナー・ゆきえさんに聞いてみた!(後編) 〜デザイナーとして実現したいことって何ですか?〜

このエントリーをはてなブックマークに追加
ライター

ライター

編集者

編集者

カメラマン

カメラマン

宮内 めぐみ
ライター
長野県出身。会社員を経て、自らを試すべくフリーランスへ転身。 デザイナー・ライター・イラストレーターの3つの肩書を持つ、”描ける×書ける デザイナー”として活動中です。「自分の人生を楽しむ」がモットー。